2023-01-01から1年間の記事一覧

桂塩鯛独演会

桂塩鯛独演会が15日、サンケイホールブリーゼで行われた。桂弥壱、まん我、塩鯛が出演。演目は「軽業」、「代脈」、「応挙の幽霊」、「どうらんの幸助」、「まめだ」。演目もよく選ばれていて、楽しく面白い時間を過ごせた。 ↑サンケイホールブリーゼ かつ…

東京・中央区ぶらぶら歩き

2023年10月12日、霞ヶ関での会議出席のため早朝の新幹線に乗る。久しぶりの早朝からの行動のため、頭と眼が働かない。指定席に腰を下ろして、コックリと眠ってしまった。 ↑新大阪駅↑名鉄特急(名古屋駅を過ぎて)↑松重閘門(名古屋市)が右奥に写ってい…

淀川左岸線工事と長柄運河

長柄運河(中津運河)が果たした役割は、『大淀区史』(昭和63年刊)の「新淀川工事」の項に述べられている。戦後は舟運がなくなり、役割を終えた。今は淀川左岸線工事が進んでいる。 ↑阪急バス中津6丁目停留所↑阪急バスの路線廃止のお知らせ↑阪急バス中津6…

シーサイドラインを走る電車

JR西日本嫌いを自認するヒガチャン。山陽本線で加古川駅まで新快速で行くのが最速なのはわかっている。しかし、へそ曲がりのヒガチャンは、阪神電車・神戸高速鉄道・山陽電車で行くことにした。山陽電車明石駅でJR山陽本線に乗り換え、加古川駅まで行く…

新幹線延伸前の北陸をいく

義母(享年95歳)の葬儀参列のため、何年ぶりかで富山まで電車の旅をする。 金沢駅までサンダーバード号(指定席)で、金沢駅から北陸新幹線で富山駅(自由席)に向かう。 ↑大阪駅11番線ホーム↑大阪駅11番線ホームから見た風景↑大阪駅 敦賀駅の変容には驚き…

丸大食品の創業者

阪俗研代表の田野登さんと会友の澤田耕作さんと三人で「大阪あそ歩」の下見をした。野田阪神駅の藤棚下から出発し、海老江・鷺洲コースの下見をした。通い慣れたコースだが、一人では道迷いのルートだ。 福島図書館の福島区歴史研究会コーナーにお邪魔する。…

「老舗」とは(その参)

阪俗研会友の樋口文さんから情報を先日いただいた。それは、芦屋市奥池南町1-35芦屋ゲート内に「神嵜屋宗兵衛商店」があるということだ。2022年7月にHPのサイトをオープンしたらしい。営業時間が午前10時〜午後4時まで。2023年10月2日…

「老舗」とは(その弍)

大阪市の「市民の声」に投稿してから2週間が過ぎた。 大阪市中央区役所市民協働課からのメールが来た。 ↑中央区役所からの回答 我が目を疑った。神宗のHPに書いてあることを追認したと。2週間、市民協働課は歴史研究の専門家に歴史的事実の有無を尋ねな…

スカウト製菓のキャラメル

東宝映画の「見事な娘」(1956年、司葉子主演)を録画して、今もたまに見返している。東京が舞台だが、大阪市が出てくる。「城東区蒲生町○○○番地」を司が通行人に尋ねる。鯰江川(道路になっている)を渡る蒲生橋が舞台だ。蒲生橋はどんな橋か。映画によって…

中島飛行機荻窪製作所

「三鷹の跨線橋」で私は下記のように述べた。 「中島飛行機の工場が中央線沿線にあった。荻窪駅にあった荻窪製作所。三鷹駅の北にあった東京製作所(武蔵野製作所とも言う)。母は女子挺身隊員として、荻窪製作所に勤めていた。グラマン戦闘機が急降下して、機…

「老舗」とは

中央区の『広報ちゅうおう』9月号12頁に「船場・ミナミと水辺を体験するまちあるき&クルーズ」が載っている。 第一部で船場まちあるきで老舗店を訪ねて船場と商いの話を聞くことになっている。神宗代表取締役社長が食体験・トークの講師だ。 ↑『広報ちゅ…

西新宿を歩く

都営バスに乗って、新宿西口に着いた。小田急百貨店が改装中。高層ビル群が集中している。私の新宿は、新宿東口側に記憶が集中している。武蔵野館(映画館)、シネマスクエア東急(映画館)、K‘sシネマ(映画館)、紀伊國屋書店新宿本店、伊勢丹百貨店、新宿三越が…

かつてのミナミは何処へ

扇町駅からミナミへ行こうとした。阪急電車正雀駅で人身事故があって、阪急京都線がストップ。地下鉄堺筋線も停まった。その後、天六・天下茶屋駅間で運転再開したそうだ。市バスに乗り換えて曽根崎警察署前で下車。御堂筋線梅田から難波駅まで乗った。寄り…

三鷹駅の跨線橋

中島飛行機の工場が中央線沿線にあった。荻窪駅にあった荻窪製作所。三鷹駅の北にあった東京製作所(武蔵野製作所とも言う)。母は女子挺身隊員として、荻窪製作所に勤めていた。グラマン戦闘機が急降下して、射撃をしてきたと母がかつて言った。茶畑の中に逃…

余丁町の永井荷風

新宿区余丁町(よちょうまち)にかつて永井荷風が住んでいた。彼の日記は『断腸亭日乗』という。日乗は日記の意。碑が建っていると思っていたが、建物の陰に掲示板が建っていた。死角になっていた。 ↑永井荷風の旧居跡 彼の旧居の裏には東京監獄(市ヶ谷監獄)が…

中野区の天神湯

東京都中野区天神町(現:中野区中野5-1)は、懐かしき第二の故郷(ふるさと)である。母方の祖母が住んでいた。小さな地面に木造の家が建っていた。夫婦と九人の子どもが住んでいた。貧乏人の子だくさんだ。祖父は戦後亡くなり、私の記憶にはない。写真でし…

東下り

ひかり号に乗って、東下りをした。時間帯もあるが、車内は空いていた。欧米系旅行者が目立った。 品川駅で山手線外回りに乗り換え。新宿駅で下車。東口へ出るのに、迷った。歌舞伎町の新宿区役所が目的地だ。17時までになんとかたどり着いた。 そこでは「…

貞徳舎の煉瓦塀

貞徳舎株式会社は創業138年の歴史を有する。耐火煉瓦やガラス坩堝を製造する百年企業。かつて、貞徳舎特種耐火煉瓦工業所と言っていた。今は鶴見区今津北に本社を移転している。 旧貞徳舎本社は、大阪市東成区新喜多町328番地(現在:大阪市城東区新喜…

叔父とシベリア抑留

母方の叔父(長男)は太平洋戦争中に徴兵された。そして、昭和20年に旧満州国牡丹江で旧ソ連軍によってシベリア抑留された。抑留中、ロシア語でソ連軍人と仲良くなったりした。しかし、結核で二度も手術を受け、戦後、日本に帰ってきた。結婚して娘も生まれた…

本町二丁目のビル

1965(昭和40)年に大阪市電に乗って、本町二丁目電停で降りて通学していた。蒲生四丁目から島屋橋行きから春日出車庫行きに乗った。南森町で霞町行きに乗り換えた。通勤・通学客でラッシュ時は混んだ。ライオン橋(難波橋)を渡る途中、車掌が「次は北浜…

山陽電車で加古川へ

月に一度の加古川市へ行く。阪神梅田駅から直通特急で明石駅まで。阪神甲子園駅でお客さんががさっと降りていく。高校野球でご贔屓のチームがあるのだろうか。甲子園球場は、内野も外野もアルプススタンドも完全予約制になっている。野球の聖地に向かう人々…

城東区にあった大阪国技館

昭和29(1954)年に発行された『最新地番入 城東区詳細図』(和楽路屋)を見ていると、城東区古市中通に建築物らしきものが描かれている。それが大阪国技館だ。今は建物は残っていない。石碑が残るのみ。城東区役所に復元模型が陳列されている。 しかし、…

東野田抽水所の8月14日

毎年8月14日が来ると、JR京橋駅に足が向く。京橋駅南口の改札口には駅員が普段はいない。しかし、かつて南口は旧砲兵工廠に勤める通勤客で賑わっていた。片町線と城東線(現大阪環状線)の乗り換え駅だ。 79年前の終戦(敗戦)の前日、アメリカ軍のB29…

大友柳太朗の連鎖劇

連鎖劇は昭和初期に流行したのは以前(天王寺区の壽光寺の項で)触れた。『大劇33年の夢舞台』によれば、「昭和12・13年頃、道頓堀の浪花座で大衆演劇が上演して評判を呼んでいた」と書いている。 昭和41(1966)年3月、大劇が「実演と映画」の二本…

中浜下水処理場余話

大阪市建設局中浜下水処理場に関する記述を『大阪市下水道事業誌(第二巻)』(平成元年3月、大阪市下水道局)から見てみよう。 ↑大阪市建設局中浜下水処理場(東部側)↑同上↑同上 中浜下水処理場の用地は、戦前の昭和13(1938)年に買っていたと書かれている…

鴫野の爆弾池

昭和29年発行の「最新地番入城東区詳細図」(和楽路屋刊)を見ると、第二寝屋川が書かれていない。今里筋がJR鴫野駅と交差する場所から南に行く。大きな池がある。地元の人(鴫野の第一印房のご主人)に訊く。「爆弾池や」と即答が返ってきた。B–29による…

54歳で亡くなった岡晴夫

近所のご老人が倒れて、救急病院に運ばれて4か月になろうとする。岡晴夫の弟子であったご老人から情報をいただいた。病院から介護施設に入居されたのだろうか。その後のことは不明である。 生き字引であったアイ老人。意識があるかもわからない。生死も不明…

東大阪市瓢箪山を歩く

身体に危険な暑さで外出を遠慮するように天気予報士がテレビで親切に言っている。雨も午後から降るので、傘を持ちましょうとお節介を焼いてくれる。おおさか東線と近鉄奈良線で近鉄瓢箪山駅にたどり着いた。橋上駅になっていた。 ↑楠木正行公墓が往生院にあ…

東住吉区北田辺を歩く

今回のまち歩きの目的は『東住吉区とりせつマップ』(東住吉区役所発行)をいただくことだ。 地下鉄谷町線駒川中野駅からまち歩きが始まった。谷町線にホーム柵ができるのは2025年度末らしい。大阪メトロは中央線に万博に向けてのホーム柵設置に力を入れて…

宍戸錠は大阪市生まれだった

雑誌『ブルータス』(2018年11月1日発行)に宍戸錠の自伝が連載された。何度も読むが位置関係がわからない。 その部分を抜粋しよう。 親父は鉄鋼所の会社をやっていました。淀川の銀橋から歩いて行くと桜ノ宮公園があって。その近くに5階建てのビルを…