2020-01-01から1年間の記事一覧

(続)おりえさんのお墓

郷土誌『上方』(昭和10年8月1日)「蒲生・野江」に六反池事件を取り上げている。 64頁に「野江の墓」の章を引用する。 「野江の刑場址より北一丁にある昭和橋を東へ一丁這入つた旭区野江町一丁目に、人家に狭められた墓地がある、この墓地は野江村所属…

おりえさんのお墓

京街道の榎並地蔵。その前あたりが野江の刑場があった。田野登さんの『京橋駅界隈原風景(下)』(大阪春秋第71号)に写真と記事が載っている。 都島区都島中通3丁目14番に榎並地蔵がある。その向かいの細長い約200坪ほどの土地が野江の刑場と思われる。…

榎並の歴史(その3)

「おりえ殺人事件」「六反池のおりえ殺し」「六反池バラバラ事件」と呼ばれる事件が、1920(大正9)年に起きた。亡父が野江の六反池でバラバラ事件があったことを記憶している。いつのことかを聞かなかったのが悔やまれた。1922(大正11)年生の父は城東区蒲生町…

榎並の歴史(その2)

地元の古老にお話を聴いた。 おりえを忠助が殺した現場を案内していただいた。また、おりえの墓場にも赴いた。整理されて、おりえの墓は不明である。なぜ榎並のこの事件を調べるのか。おどろおどろしい殺人事件も歴史の一コマであるからだ。おりえも忠助も榎…

榎並の歴史(その1)

大阪市城東区は、懐かしい名まえと共に抜け出すべき土地でもある。 18歳の時、私は東京へ向かおうとした。しかし、その夢は実現しなかった。大学受験したが、叶わなかったからだ。大阪市城東区新喜多4丁目79番地だ。父母が財産を築いて、生活を営んでき…

手塚美奈子さんのお家が城東区にあった

手塚美奈子さんは、手塚治虫さんの実の妹です。 昭和7年9月27日生まれ。そして、平成27年11月17日に83歳で亡くなりました。 死後、夫の宇津實さんが、『長鼻物語』を私家版で出版しました。google検索で「手塚美奈子 長鼻物語」で検索するとヒッ…