三宅タンス店に住んでいた落語家

 城東区新喜多1丁目は、寝屋川の北岸にある。父の実家は新喜多2丁目にあった。私のふるさとでもある。

 三宅タンス店にはタンスを買いに行ったことがある。ガラス戸を引いて、品定めをした記憶が残っている。

 昨日、近所にお住まいのTさんと町会長のお二人に話を伺った。桂雀三郎(米朝事務所に所属の人気落語家)がかつて三宅タンス店に借家をしていたのだ。その辺では有名な話みたいだ。

 三宅タンス店の北隣には、父の伯父(今はいとこの名義になっている)の家がある。雀三郎の独演会に何度も足を運んでいるのに、知らなかったことを恥じる。

f:id:higachanntan:20220613142154j:imageかすかに「三宅」と読める
f:id:higachanntan:20220613142208j:image三宅さんのお家
f:id:higachanntan:20220613142157j:image柵越しに写す
f:id:higachanntan:20220613142205j:image北隣にある100年前の家
f:id:higachanntan:20220613142203j:image鬼瓦
f:id:higachanntan:20220613142211j:image鬼瓦
f:id:higachanntan:20220613142159j:image京橋の高層マンションを遠望する

 

番外編(港町新潟)

 何十年ぶりに新潟市を訪ねた。上越新幹線に乗って、トンネルを抜けると雪国新潟駅に着いた。かつて駅舎があった所は大きな地面が広がっていた。6月4日からすべての線が高架化された。線路の付け替え工事で運休した線区もあった。代替バスが走ったらしい。
f:id:higachanntan:20220604225455j:image万代口から駅跡を見る
f:id:higachanntan:20220604225451j:image新潟駅は個性のない駅になった

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f:id:higachanntan:20220606141735j:image古い新潟に渡る
f:id:higachanntan:20220606141708j:image信濃川に架かる、重要文化財萬代橋
f:id:higachanntan:20220606141704j:image昭和4年建設
f:id:higachanntan:20220606141647j:image鉄筋コンクリート
f:id:higachanntan:20220606141717j:image萬代橋の説明板
f:id:higachanntan:20220606141722j:image高浜虚子の句碑
f:id:higachanntan:20220606141728j:image句碑の説明板
f:id:higachanntan:20220606141643j:image通りは信濃川に並行する道を指す。小路は通りと交差する道をいう。

 

 新潟の市民は、通りと小路を区別して使用している。初めはどう区別しているのかが判別できなかった。信濃川を基準にして考えると合理的だと納得した。小路は道幅が広くても「小路」なのだ。

 

f:id:higachanntan:20220606152052j:image泊まったホテルが避難ビルに指定されていた。50年前には警察署があった。
f:id:higachanntan:20220606152416j:image大倉喜八郎が建てたホテルの二番目です
f:id:higachanntan:20220606152331j:imageホテルロビーに大倉喜八郎の解説が貼ってある
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f:id:higachanntan:20220606152114j:image古町花街
f:id:higachanntan:20220606152319j:image鍋茶屋通り
f:id:higachanntan:20220606152206j:image芸者街(遊廓ではない)
f:id:higachanntan:20220606152007j:imageどこからか三味の音が聞こえてくる
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f:id:higachanntan:20220606152221j:image鍋茶屋
f:id:higachanntan:20220606152145j:image鍋茶屋は有形登録文化財になっている
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f:id:higachanntan:20220606152325j:image鍋茶屋の大門
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f:id:higachanntan:20220606152521j:image鍋茶屋の蔵。
f:id:higachanntan:20220606152033j:image鍋茶屋は一流料亭
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f:id:higachanntan:20220606152128j:image丸伊寿司
f:id:higachanntan:20220606152012j:image坂内小路
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f:id:higachanntan:20220606152150j:image東宝劇場跡地(今は駐車場に)
f:id:higachanntan:20220606152118j:image三業組合の社員の振袖(新米)。振舞いや踊り、三味線を習う。留袖(お姐さん)は芸で一人前
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f:id:higachanntan:20220606152103j:image牡蠣料理の店
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f:id:higachanntan:20220606152448j:image俳句が飾ってある
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f:id:higachanntan:20220606152002j:image三業組合事務所がある
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f:id:higachanntan:20220606152123j:image三業組合事務所
f:id:higachanntan:20220606152342j:image芸者(留袖)さんの後ろ姿
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 鍋茶屋通りから本町通14番町に向かうことにする。新潟遊廓があったところだ。今はふつうの住宅地になっている。1軒だけそれらしき古そうな建物が残っている。

f:id:higachanntan:20220607161240j:image本町通に露店が出ていた
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f:id:higachanntan:20220607161232j:imageシャッター通りだが、個性ある街並み
f:id:higachanntan:20220607161215j:image自治会の掲示
f:id:higachanntan:20220607161221j:imageこれが遊廓の建物(左側)
f:id:higachanntan:20220607161211j:image近在の鰻の寝床のような建物
f:id:higachanntan:20220607161202j:image奥がある建物
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【参考文献】

『古町花街たてものマップ』改訂五版(新潟まち遺産の会)

【アドバイス】五十嵐政人氏(鷲尾雨江の文学碑を建てる会事務局長、元新潟市中央公民館館長)

番外編(JR神戸駅)

 加古川駅に向かう途中で神戸駅で下車した。東海道本線山陽本線の始発駅であり、終着駅でもある。f:id:higachanntan:20220527220519j:image神戸駅5番線ホーム。
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 神戸駅の改札口を出た。南側を歩く。高架下の工事がされている。

 北口にも足を向ける。がんこ寿司の店の奥に貴賓室があるらしい。無理を言って中を見せてもらった。

f:id:higachanntan:20220527221052j:image神戸駅中央コンコース

f:id:higachanntan:20220527221055j:image貴賓室内
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f:id:higachanntan:20220527221059j:image
f:id:higachanntan:20220527221102j:imageシャンデリア
f:id:higachanntan:20220527221106j:image同上
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 店の奥にドアがあった。それを押し開けると、そこが貴賓室だった。予約ですぐにいっぱいになるらしい。「貴賓」の意味は、「身分の高い客」と『デジタル大辞泉』(小学館)にある。貴賓とは東京都千代田区に住むさるお方のことであろう。鉄道に乗ってお疲れになった高貴な方が休憩されるための施設であった。

 

神戸駅は1874(明治7)年の開業。貴賓室は1889(明治22)年に完成。1974年から68年まで昭和天皇が二回、皇太子時代の今上天皇が一回利用している。1972年の山陽新幹線(大阪–岡山)が開業すると駅長室に変更される。2016年9月から内壁などを残して、備品を撤去された。

 

JR西日本の規定では、貴賓室は天皇・皇后・皇太子夫妻しか利用できない。皇族や関係企業の役員らは「Jルーム」と呼ばれる応接室を利用することになっている。

【参考文献】「神戸新聞おでかけプラス」(更新日:2017年6月22日)

 

見るも無残に樹木ばっさり

 大阪民主新報(2021年1月24日号)に私の投書が載った。それを再掲することをお許し願いたい。

 

 ◯◯区に生まれて70年。戦禍を免れ、長屋が残る地域。爆弾ですっかり焼かれた町。人口密度が高いが、住みやすい区だ。

 最近、街路樹が気になっている。見るも無残に伐られているのだ。大阪市があちこちでしているらしい。

 切られた跡(筆者注:升)がアスファルトで舗装されている。木が二度と植えられないことを示している。

 大阪市は緑が少ない。◯◯区の緑被率は低い。台風21号で街路樹がなぎ倒され、撤去された跡には低木が植えられた。高木を切って低木を植える措置に疑問を抱く。

大阪市は「人や車の通行の妨げ」になる高木をなくすというが、それで人が住みやすい街になるのだろうか。

 

 1年以上前の投稿文だが、大阪市の街路樹管理に対する私の危惧は変わらない。大阪市に電話をすると、現場の職員は上から命じられると逆らえないので、大阪市民が直接に意見を述べてほしいと回答してくる。

大阪市の街路樹管理政策が変わったのか。職場文化が人事政策で変質したのか。自治体労働者(大阪市の地方公務員)は、公平・中立がモットーであり、日本国憲法に従うと「宣誓書」を提出する。

 果たして、私たちは「木陰」をとるか、「アスファルト」をとるか、どちらをとるのか。

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f:id:higachanntan:20220526101351j:image今里筋の街路樹をバッサリ
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【後日談】

 6月10日の午前、現場に足を向けた。芭蕉翁の「夏草や」の句が浮かんだ。三叉路をクルマが疾走している。汗が滲んでくる。かつて近隣の人によってお供えがされていたのが、今はお供えがなくなっている。

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f:id:higachanntan:20220610202331j:image三叉路
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 霊はいずこにあるのだろう。霊は浮かばれているのだろうか。鎮魂のために私は静かにシャッターを切った。

 

【参考文献】『街路樹は問いかける–温暖化に負けない〈緑〉のインフラ–』(岩波ブックレット)

 

今はなき港新地

 港新地(夕凪新地ともいう)の調査は、土地の古老(86歳)から聞いたことに始まる。

 

 19歳の時の思い出だった。はじめてのまぐわいは滝井新地だった。二度目の女性との交合であった。丸窓の奥に娼婦たちが見えた。遣手婆が声をかけてきた。先輩に連れられて来たのだ。「いい妓がいるよ」の声につられて上がった。30歳くらいの娼婦だった。

 名前は「よっちゃん」だった。何度も通ううちに仲が良くなった。そして、夕凪橋の彼女の家に通った。夕凪新地の近くであった。家で彼女の手作りの料理を味わった。家では体の交わりは一切なかった。夕凪橋のホテル(今はない)で彼女との逢瀬を楽しんだ。逢瀬はその後も続いた。

 

 かつては、待合・料亭・旅館・スタンドバーの表示が吉田住宅地図(1968年)に載っている。今は転業したり、新しい住宅に変わったりしている。

f:id:higachanntan:20220522060817j:imageかつての商店街(夕凪一二会)
f:id:higachanntan:20220522060825j:image今は新地の建物はない

f:id:higachanntan:20220522060822j:image住宅街
f:id:higachanntan:20220522060811j:image同上
f:id:higachanntan:20220522060820j:image同上

f:id:higachanntan:20220523114604j:image待合の跡(モータープール)
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f:id:higachanntan:20220523114614j:image
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f:id:higachanntan:20220523114617j:image近くにある寺院
f:id:higachanntan:20220523114607j:image旅館

 

 弁天町駅に戻ろうと港夕凪商店会の通りを歩く。朝潮橋駅に市電の港車庫があった。そこから東に直線で商店街が続いている。みなと通り(市電の走っていた道)の一本北にある。
f:id:higachanntan:20220523114611j:image港夕凪商店会

f:id:higachanntan:20220523115645j:image電柱に旧住宅表示
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f:id:higachanntan:20220523115722j:image「たこ安」。冬はてっちり、夏はハモが有名です
f:id:higachanntan:20220523115728j:image朝潮橋駅方向を見る
f:id:higachanntan:20220523115639j:image元築港電話局(NTT)の建物
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f:id:higachanntan:20220523115654j:image元幸運橋市場。今はスーパーに変わっている
f:id:higachanntan:20220523115651j:image弁天町駅方面を見る
f:id:higachanntan:20220523115614j:image旧一岡ビル。説明板や遺構の一部を持っている方がいるらしい
f:id:higachanntan:20220523115630j:image大阪市立市岡商業高校の碑
f:id:higachanntan:20220523115617j:image文化住宅の敷地。敷かれている石はどこから来たか
f:id:higachanntan:20220523115713j:imageオリックス市岡自動車教習所
f:id:higachanntan:20220523115633j:imageここが市岡パラダイスだった
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f:id:higachanntan:20220523115625j:image桂町の表示
f:id:higachanntan:20220523115649j:image磯路の桜通り
f:id:higachanntan:20220523115710j:image同上
f:id:higachanntan:20220523115657j:image市岡パラダイスがあった
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f:id:higachanntan:20220523115731j:image
f:id:higachanntan:20220523115716j:image
f:id:higachanntan:20220523115642j:image桜も老化して、根が四方に伸びている
f:id:higachanntan:20220523115620j:imageみなと通りから2mの標高差があるらしい。かつての盛り土で高いのだ

 

 市岡パラダイスの開園は1925(大正14)年である。市岡土地株式会社の経営する遊園地。活動写真の劇場、飛行塔、スケートリンク、農園、小鳥園、千人風呂の大浴槽などがあった。市岡パラダイスの進出で付近は発展する。商店、映画館、市場などが建てられた。夕凪橋筋はパラダイス通りと呼ばれ、商店街として栄えた。

 港区も庶民的な街だ。私の好きな地域に入れておこうとする。

【参考文献】『都市絵はがきI  なにわの新名所』(橋爪紳也著、東方出版)

                      『港区誌』(港区役所、昭和31年)

 

 

『大阪賤娼誌』に導かれて

 新地巡りも大阪市港区を歩くことになった。今は住宅街に変貌して、過去の記憶をたどることはできない。住民の方に聞き取りをしても、新地があり、周辺の商店街や飲食店、待合・旅館・料亭・スタンドバーは賑わっていたらしい。朝潮橋に市電の車庫や研修所があった。商店街や市場ができ、繁盛を迎える。20年前の商店街では人出があった。しかし、スーパーや量販店の進出で大きな打撃を受ける。朝潮橋の交通局の研修所は中百舌鳥に移転をしている。

f:id:higachanntan:20220519012017j:image地下鉄朝潮橋駅が出発地
f:id:higachanntan:20220519012239j:image駅前の地図と吉田地図(1968年)とを比較する
f:id:higachanntan:20220519012236j:image黒い線で囲まれているのが港新地(夕凪新地)と推定される

 

 『大阪賤娼誌』(1992年、三一書房)から引用する。大阪を代表するのは、天六・竹屋裏・釜ヶ崎の三つ。「短期間少数の散娼を見ることの出来た処は、大正年間以後丈けでも此花区上福島浄正橋通り東海道線踏切附近、西淀川区浦江、聖天社境内、港区西市岡町市岡パラダイス附近」を列挙している。

f:id:higachanntan:20220519020113j:image三津神社
f:id:higachanntan:20220519020110j:image元国際見本市会場の隣にあった。その後八幡屋交通公園ができ、現在地に移転した
f:id:higachanntan:20220519020116j:image現在地の隣に夕凪公園がある

 

福島区「裏鷺洲」を歩く

 5月15日、遊び人二人で「裏鷺洲」を探すことになった。私に期待されていた役割は、他所者が鷺洲に新たな発見をすることにあった。浅学非才な拙者に役割を果たすことができただろうか。

 

国鉄環状線(現JR西)福島駅から歩みを始めた。福島聖天通商店街を通る。「売れても占い商店街」で夙に有名である。浦江聖天の参詣道である。大和田街道・梅田街道の碑が建つ。この道には柱に防犯(監視)カメラが商店街によって設置されている。昨年、曽根崎新地のビルで放火事件があった。その容疑者が姫島の自宅から自転車に乗る姿が記録されていたらしい。電柱に「防犯カメラ作動中」と書かれているのが未来社会の姿を予想させている。

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f:id:higachanntan:20220517020514j:imageJR福島駅の北側の踏切。地下化工事によって踏切もなくなる
f:id:higachanntan:20220517020517j:image特急はるかの姿も見られなくなる
f:id:higachanntan:20220517020502j:image福島聖天通商店街
f:id:higachanntan:20220517020510j:image福島駅の南側。旧阪神電鉄本線跡

 如意山了徳院(浦江聖天)の山門を入る。有名な芭蕉句碑「杜若塚(かきつばたづか)」を拝観し、都会のオアシスに汗も引いた。京都の有名神社仏閣のような風情にまち歩きの楽しさに浸る。

f:id:higachanntan:20220517022228j:image大和田街道・梅田街道の碑
f:id:higachanntan:20220517022246j:image防犯カメラ探しも一興です
f:id:higachanntan:20220517022216j:image防犯カメラが設置されている
f:id:higachanntan:20220517022243j:image浦江聖天の新たな魅力
f:id:higachanntan:20220517022224j:image新しい借景
f:id:higachanntan:20220517022232j:imageかきつばたに植え替える予定
f:id:higachanntan:20220517022236j:image芭蕉翁の姿を浮かべた
f:id:higachanntan:20220517022239j:image巾着(きんちゃく)
f:id:higachanntan:20220517022220j:image違い大根

 昔から庶民信仰が盛んで、株の相場師・遊女・商売人たちが足繁く参ったと言われる。水商売の仏様として知られる。境内の玉垣に曽根崎の芸妓の名がある。時間があれば探してみたいものだ。

 

 「浦江のとげぬき稲荷」がある妙壽寺は禅寺である。檀信徒共同墓壇の香炉に「蓮泉」の文字が彫ってある。蓮の生えていた池があったのであろうか。浦江の毘沙門天として知られている。

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 鷺洲4丁目の東海道本線のガードを潜ると北区(旧大淀区)に入る。『大阪の戦争遺跡ガイドブック』(戦争体験を記録する会、1987年)によれば、鷺洲5丁目7番地(鷺洲公園北東)に「1945(昭和20)年6月7日の空襲による弾痕が、ガード下のコンクリート壁面に残っている」「大きいものは直径15㎝、深さが5㎝」とある。グラマン機の機銃掃射で、8人ぐらいの人が倒れたという。

f:id:higachanntan:20220517030138j:image鷺洲4丁目の機銃掃射の弾痕
f:id:higachanntan:20220517030134j:image同上
f:id:higachanntan:20220517030145j:image同上

 

 浦江八坂神社に詣でる。スサノウノミコトを祀る。古地図では牛頭天王社。明治になって廃仏毀釈後に八坂神社になったと思われる。境内に王仁社があるが、かつて大仁(北区大淀中)に王仁氏の墓があったと伝わっている。

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 浦江公園には親子連れで賑わっていた。また、庭球場で球の音が響いていた。近くにはかつて朝日放送の社屋や大阪タワー、ホテルプラザがあった。今はないが、阪急バスの西川行きで通勤していたのを思い出す。大阪タワー1階の日産ギャラリーでラジオ番組が放送されていた。「サテライトスタジオ」という言葉が新鮮であった。シンフォニーホール(残響2秒を誇る)が残るのみである。

 浦江公園で気になったことがある。樹木が幹の真ん中から切断されていた。大阪市内で街路樹が切られている。しかも真ん中から切断し、それから順に切っていくのだ。樹木の悲鳴が聞こえてくる。切断面に防腐剤が塗られているか。切り方が残酷だけではない。切断されてた木々がずっと続く様を浮かべていただきい。大阪市建設局の方針であろうか。

 

 大阪駅の北側に梅田貨物駅があったのを覚えておられるか。そこに大坂七墓の一つである梅田墓があった。うめきた2期工事で梅田墓も巨大建築物の下になる。安らかに眠っていた佛たちは何処に行かれたのか。

f:id:higachanntan:20220517033103j:imageうめきた2期工事の概要
f:id:higachanntan:20220517033111j:image同上
f:id:higachanntan:20220517033114j:image同上
f:id:higachanntan:20220517033107j:image梅田墓
f:id:higachanntan:20220517033100j:image福島駅〜浦江聖天〜妙壽寺〜浦江公園〜梅田墓

 

 鷺洲の長屋街を拝見した。旧西成郡の長屋にこころ魅かれるものがあり、価値ある家屋群の保存政策の策定を望みたい。

 長屋街(長屋群)で魅力的な家屋を列挙する。

f:id:higachanntan:20220517034747j:image旧川崎貯蓄銀行
f:id:higachanntan:20220517034740j:image長屋
f:id:higachanntan:20220517034744j:image個性的な建物
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f:id:higachanntan:20220517034726j:image破却されるのは惜しい

f:id:higachanntan:20220517034737j:image阪神百貨店配送センターの隣の家

f:id:higachanntan:20220517034730j:image外見を残して、レストランを営業している
f:id:higachanntan:20220517034733j:image同上

 

 福島区に親戚がいる。そこも長屋街である。今ではマンションがどんどん建っている。地価が安く、不動産屋が買い漁っているらしい。ワンルームマンションよりも所帯向けマンションの方がメリットが大きいと思っている。ましてや超高層マンションは願い下げである。マンションは管理を買う物件である。長期的に眺めれば、どんな住まいが地域社会に相応しいか。答えは地域住民が決めていくものと考える。「裏鷺洲」にどんどん体が沈んでいく夢を見ている。

【参考文献】大阪あそ歩「おしてるや咲くやこの花 浦江・聖天」