大阪ガス高等学園

 かつて「大阪ガス高等学園」があったことをご存知の方は少ないだろう。門外漢のヒガチャンがなぜ知っているのか。

 それは、1975(昭和50)年頃、教え子が「大阪ガス高等学園」を受験するので受験書類を書いてくれと言ったことから始まる。学園は、社内人材の育成などを目的に開設・運営していた教育施設(企業内学校)であった。

f:id:higachanntan:20260912192417j:image↑大阪ガス本社(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

 受験会場は、御堂筋・平野町にある大阪ガス本社であった。試験が終わるまで別室で待機していた。合格通知は「不合格」であった。S君の家庭は子だくさんで、長男が学園に入れば、高校卒の資格も取れる。卒業すれば、社員にもなれる。魅力的な学園であった。

f:id:higachanntan:20260918165712j:image↑記念樹(ハナミズキ)※印はいずれも大阪ガス先端技術研究所【公式】のXの画像を引用した。
f:id:higachanntan:20260918165716j:image↑記念樹の説明板※

 開校は、1971(昭和46)年4月1日。もともと存在していた社内の「教習所」を改称する形で「高等学園」となった。この際、通信制の科学技術学園工業高等学校と連携する形で運営された。
 そして、閉校(廃止)は、1980(昭和55)年3月31日であった。9年間の歴史であった。
 学園の住所は、大阪市此花区酉島(とりしま)地区で、かつて同学園があった敷地は、大阪ガスの研究開発の発祥の地である「酉島地区」の一角に位置している。現在は、大阪ガスの先端技術研究所や、2025年9月に新たに竣工したカーボンニュートラル技術の最先端拠点「Daigas Innovation Center(ダイガス・イノベーションセンター)」(大阪市此花区酉島5丁目)などの敷地として活用されている。 

f:id:higachanntan:20260918165846j:image↑大阪ガス高等学園の名残りが残っている※

  「1970年入学くらいまでは非常に優秀な人もいましたが、その後問題児の量産工場になり廃止になったそう」と推量している。(chiller119 さんのX、脱電力マンさんのX、大阪ガス先端技術研究所【公式】のXの記事を2026年9月18日に閲覧した)

【追記】

 2026年9月22日、猪飼野探訪会の小野賢一氏から情報が寄せられた。彼の記憶では「ダイハツ(本社:池田市)や関西電力(本社:大阪市北区)にも企業内学園があった」と。当時、在阪の大企業には企業内で人材を養成する余裕と気概があったのではと想像している。

 

 

 

 

 

大阪市敬老パスの歴史

 70歳になってうれしかったのは、敬老パスを大阪市福祉局からもらったことだ。

 大阪市の敬老パス(敬老優待乗車証)制度は、1972(昭和47)年に高齢者の社会参加と福祉増進を目的に完全無料の独自サービスとして始まった。70歳以上の大阪市民を対象に、市営地下鉄・市バスが無料で利用可能になる。

f:id:higachanntan:20260907113535j:image↑亡母の「大阪市敬老優待乗車証」

 制度の変遷を以下に記す(Wikipediaを参考にした)。

 2011(平成23)年12月19日から橋下徹氏が市長に就任した。2014(平成26)年2月26日まで一期目を務めた。二期目が2014(平成26)年3月24日から2015(平成27)年12月18日まで。


 2013年度に財政見直しに伴い、橋下徹市長(当時)のもとで年1回3000円の更新手数料(負担金)が導入される。


 2014(平成26)年8月から制度持続のため、更新料に加え乗車1回につき50円の自己負担が追加される。

 

 2018(平成30)年4月1日より、大阪市交通局の市営地下鉄事業(ニュートラムを含む)は大阪市が出資する新会社・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)による運営に移行された。また同時に市営バス事業も、大阪市高速電気軌道の子会社である大阪シティバスに譲渡された。事業の民営化に伴い、大阪市交通局は廃止された。


 2018(平成30)年7月から負担軽減のため、年1回3000円の更新手数料が廃止される(1回50円の乗車負担は継続)。


 現在は70歳以上の大阪市民を対象に、Osaka Metro(地下鉄・ニュートラム)および大阪シティバスを1乗車50円で利用できるICカードとして継続されている。

f:id:higachanntan:20260907112936j:image↑大阪市敬老パスの利用方法

 

 大阪市をよくする会事務局長の中山直和氏に敬老パスと都構想との関連を聞いた。

 「大阪市が廃止されて特別区に格下げされることで、初期コスト(約380億円)、ランニングコスト(毎年約60億円〜120億円)が増えます。

 一方、財源は大阪府からの交付金頼りになるため、4つの特別区の区長・区議会はどの住民サービスを削減するか?の選択を迫られることになります。

 敬老パスを含め、どの住民サービスを削るかは特別区の判断になるため、敬老パスの維持を選択して他のサービスを削るという特別区の判断もありえますから、絶対に敬老パスがなくなるとは言えませんが『敬老パスがなくなる可能性がある』とは言えます。

 同じように、子ども医療費助成などの福祉施策が『なくなる可能性がある』と言えます」

 

 制度が始まって、今年で54年になる。大阪市は「不健康都市」の汚名をいただいているが、この制度の果たす役割は大きい。

 

 

 

旧田辺製薬大阪工場

 月イチで10年以上加古川市に足を運んでいる。用事は秘密で公言してはいけないと言われている。秘密の結社ではないですよ(笑)。

f:id:higachanntan:20260907082139j:image↑敬老パスの利用明細(8月分)

f:id:higachanntan:20260907082151j:image↑同上

 9月2日、大阪駅から新快速に乗った。進行方向に向かってどちらに座るかは、その日の気分による。その日は右側に座った。新淀川を渡る前に「産経新聞」の印刷工場と長柄運河跡の淀川左岸線工事が気になるが、瞬時に後方に流れていく。

f:id:higachanntan:20260906230649j:image↑旧中津川跡に建つマンション

 塚本駅を過ぎて、中津川の跡に建つマンションが見えてくる。かつて自動車学校があった場所だ。

 東西線加島駅が見えたら、神崎橋が右奥に見えている。神崎川の手前に「旧田辺製薬(現・田辺三菱製薬)の大阪工場があった。今は跡地になっている。大きな建築計画が進んでいる。

f:id:higachanntan:20260906231254j:image↑旧田辺製薬大阪工場跡
f:id:higachanntan:20260906231259j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260906231303j:image↑同上

 田辺製薬(現・田辺三菱製薬)の大阪工場は昭和14(1939)年から操業。「ニッパス」(新抗結核薬)や「アドナ」(止血剤)などを製造し、経営を支えた。2021年12月末の閉鎖に伴い、開発前の埋蔵文化財調査(発掘調査)が行われた。(産経ニュース 2019年4月11日)

   ブログ「陽は西から昇る!関西のプロジェクト探訪」(2026年8月5日閲覧)を参考にした。

 当該の敷地は、大阪市淀川区加島3丁目にある約9haの広大な土地。「SGリアルティ・MFLP大阪加島」が大規模な物流施設を2025年12月1日から着工している。「SGリアルティ」は佐川急便のグループ会社(不動産会社)。「MFLP」は三井不動産。この二者による共同事業案件だ。竣工予定は2027年9月。

 延床面積は21万㎡以上で、地上6階の物流施設。ワンフロアの倉庫面積は約3万㎡となっている。

 なお、「田辺三菱製薬」は、2025年7月1日付でアメリカのある投資ファンド「ベインキャピタル」の傘下に入って「田辺ファーマ」に商号を変更している。薬品業界も合併・統合を繰り返されて、商号が変わって、どこの会社かと見紛う。

 大日本製薬もなくなって、「住友ファーマ」になっている。1898(明治31)年、大阪市福島区海老江に製薬工場(旧大阪工場)を設置したが、それもない。

 

 神崎川を渡り切ると、久保田鉄工株式会社(現・株式会社クボタ本社 阪神事務所)の旧尼崎工場(現・阪神工場)になり、尼崎駅に到着する。

f:id:higachanntan:20260907001840j:image↑尼崎市浜1丁目
f:id:higachanntan:20260907001845j:image↑同上

 JR山陽本線「加古川駅」に着いて、まず腹ごしらえをしなくてはならない。JR加古川駅は高架駅になっていて、一階がスーパーマーケットや飲食店が入居している。スーパーがリニューアル工事に入っていた。空き店舗になっていた場所に「御座候」がオープンするらしい。

f:id:higachanntan:20260907010737j:image↑御座候(回転焼、大判焼の店が開店予定)
f:id:higachanntan:20260907010731j:image↑10月上旬開店予定

 

 加古川市厄神(やくじん)で用事を果たして、帰宅を急いだ。JR加古川駅厄神駅から加古川駅まで一両編成の列車に揺られて加古川線ホームに着いた。山陽本線のホームに乗り換えて、新快速が来るのを待つ。

f:id:higachanntan:20260907012026j:image↑ホーム柵の異常でしばらくドアが開かず
f:id:higachanntan:20260907012031j:image↑ドアが開いてから職員が調整していた
f:id:higachanntan:20260907012022j:image↑同上

 長浜駅行きなれど、待たされてやっと明石駅で下車。駅前のパントリー(本社:福島区)でパンを購入。疲れがドッと出て、帰路の座席で爆眠しちゃった。

f:id:higachanntan:20260907015027j:image↑今里筋線開業20周年

 沿線の風景がさまざまに変わっていく。それが景観保存に役立っているのかが関心の的である。

 

 

わが心の遊園地

 遊園地の定義から始めよう。

 遊園地とは、娯楽のための遊戯機械(ローラーコースターや観覧車、メリーゴーラウンドなどのアトラクション)を中心に様々な付帯施設を有す施設をさす。

   テーマパークは、一貫した世界観:映画や歴史、ファンタジーなどの特定のテーマに沿って、建物、音楽、スタッフの制服、パレードまで全体が作られており、ただ乗り物に乗るだけでなく、その世界に入り込んだような「没入感」や特別な時間を提供することを重視している。(Wikipediaより引用)

 遊園地ばかり列挙しようとしたが、学校行事も交えて書いていく。
 

 大阪市立聖賢小学校(鯰江第二尋常小学校)から遠足でよく行った遊園地は「枚方パーク」だ。今は「ひらパー」と呼ばれる。山の上に「モンキーパーク」があった。猿山を見るのが楽しみだった。遊具に乗ることは遠足ではできなかった。臨海学校は丹後の天の橋立に行った。

f:id:higachanntan:20260904090354j:image↑臨海学校(天の橋立)
f:id:higachanntan:20260904090358j:image↑遠足(石山寺)

 京阪やはた駅で下車して、木津川水泳場に町会のこども会で連れていってもらった。木津川に造られた京阪電車の水泳場だった。木津川は砂を上流から排出するので、流路が変わった。浅瀬と思って、深みにはまって亡くなる人が少なからずいた。

 

f:id:higachanntan:20260830125307j:image↑天保山第五コーポ(旧みなと遊園の跡地、Wikipediaより転載)

f:id:higachanntan:20260830153104j:image↑みなと遊園(提供:m.atsumi、所蔵:田野登氏)

 港区のみなと遊園で遊んだが、どんな遊具に乗ったかは不明。大阪湾振興協会(現在の大阪湾振興株式会社)が所有していた。跡地を大阪市に売却して現在はマンションになっている。

 また、八幡屋の見本市会場(現在は南港のインテックス大阪に移転している)でしていた「宇宙博」を見て、未来への明るい希望を抱いた。たぶん市電代行車で大阪駅から行ったと想像する。

 

 大阪市立蒲生中学校(大阪市立城東第二中学校)に昭和37年度に進学すると、遠足は談山神社・飛鳥・橿原方面に行く。映画鑑賞は、全校生徒で京橋アカデミー劇場で「キューポラのある街」を観る。吉永小百合を初めて銀幕で観たのだ。ラジオで「赤胴鈴之助」で小百合ちゃんが出演したのを覚えている。

 秋にはブロック社会科研究発表会で「アベノ上六ターミナルの発展」の発表をした。上がって、ミスをしたのを覚えている。場所は築港深江線(中央大通)に面した大阪市教員会館(法円坂にあった)だった。

 昭和38年度には映画「ローマ・オリンピック」を体育館で観た。

 昭和39年度は東京オリンピックの開催される年で、修学旅行の年でもあった。

 修学旅行専用列車「きぼう号」に乗って、品川駅まで。千駄ヶ谷の日本青年館に泊まる。

 都内見学(羽田・東京タワー・浅草)、鎌倉見学、箱根湯の花ホテル泊。

 最後の日は、箱根十国峠、大室高原、伊豆シャボテン公園、熱海見学。

 「きぼう号」に乗って、大阪駅着。学校で解散する。

f:id:higachanntan:20260830012612j:image↑修学旅行(左が鎌倉の長谷大仏、右が大阪駅のきぼう号)

 

 宝塚ファミリーランドに阪急宝塚線でよく行った。どういうわけか知らぬが、猿山に一目散に行った。阪神パークは一度くらいしか行っていない。「レオポン」という珍獣を見に行ったか。かわいそうな動物と思っていた。奈良ドリームランドには行った覚えがない。あやめ池遊園地には二、三度行ったなあ。

f:id:higachanntan:20260830020635j:image↑宝塚ファミリーランド正面入口(4枚の画像はWikipediaより転載)
f:id:higachanntan:20260830020626j:image↑宝塚ファミリーランドの看板
f:id:higachanntan:20260830020629j:image↑宝塚大人形館
f:id:higachanntan:20260830020632j:image↑ホワイトタイガー

 

 最後に、「城東プール」もあげておこう。

 片町線鴫野駅を京橋駅に向けて走る。新喜多踏切の横にプールがあった。私設プールだ。芋の子を洗うような、水も汚れたプールだ。小学校にプールがなかったので、泳ぎに行った。プールを作るために寄付金を両親が出したが、泳ぐことはできなかった。

 

 高校生になってからは、アベノプールまで足を延ばした。水中エアーステーションで売っていた。天王寺駅まで環状線で行ったのだろう。

 

 みなさんの遊園地の思い出を教えてくださいませんか?

有縁無縁三界萬霊供養

 8月26日は、此花区正蓮寺の「川せがき」が行われる日だ。去年も行事に参加したが、船に乗れなかった。今年も同じ理由(強風で波高し)で出港できなかったのだ。

f:id:higachanntan:20260828053247j:image↑正蓮寺
f:id:higachanntan:20260828053139j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053148j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053228j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053143j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053223j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053214j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053122j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053118j:image↑伝法港
f:id:higachanntan:20260828053232j:image↑新淀川
f:id:higachanntan:20260828053209j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053237j:image↑六甲山系を望む
f:id:higachanntan:20260828053129j:image↑新淀川で経木を流す
f:id:higachanntan:20260828053204j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053134j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828053159j:image↑今年も強風で船に乗れず

 「施餓鬼の目的は、飢えや渇きに苦しんでいる死者の霊魂を救済することです。 また、施餓鬼には多大な功徳があるとされており、ご先祖様へ功徳を振り向けることで(「回向(えこう)」)、追善供養にもなります。
(追善供養…残された人が故人様の冥福を祈って行う供養のこと。)
 そのため、多くのお寺でお盆の時期に盆法要と合わせて施餓鬼法要を実施しています。さらに、お盆にご先祖様の供養だけでなく、施餓鬼によって「有縁無縁三界萬霊(あらゆるすべての霊魂)」の供養をして徳を積むことで、自分自身にも救いがあるといわれています。」(「お仏壇のはせがわ」のHPより抜粋)

 

 話題が変わるが、朝日新聞大阪本社8月21日夕刊の1面トップを見た。「此花区パチンコ店放火殺人事件」の死刑囚の死刑が大阪拘置所で執行された記事だ。

 川せがきが行われる正蓮寺に歩いた。阪神電車千鳥橋駅前に着いた。ここは此花区パチンコ店放火殺人事件の現場が近い。犠牲者と死刑囚に思いをいたした。

f:id:higachanntan:20260828051759j:image↑此花区パチンコ店放火殺人事件の現場付近
f:id:higachanntan:20260828051809j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260828051754j:image↑同上

 以下にその記事を抜粋する。

 「平口洋法相は21日に臨時記者会見を開き、2009年に大阪市此花区のパチンコ店に放火して5人を殺害し、殺人などの罪で死刑が確定した高見素直(すなお)死刑囚(58)について、同日午前に大阪拘置所で刑を執行したと発表した。死刑執行は25年6月以来、1年2カ月ぶりで、高市政権下では初めて。」

 

 朝日新聞の社会部女性記者は会見で法務大臣に執拗に答弁を求めた。国民が知りたいことを粘り強く求めた姿勢は評価できる。 

 

 「平口法相は「周到な計画と準備のもと無差別に多数人を焼き殺そうとした極めて残虐な犯行だ。5名もの被害者の貴い命を奪うなど、あまりにも重大な結果を発生させ、社会にも大きな衝撃や恐怖感を与えた」と指摘。「慎重なうえにも慎重な検討を加えたうえで死刑の執行を命令した」と述べた。18日に執行命令書にサインしたという。」

 

 法相は21日、刑執行時には自宅に居たと答弁した。死刑囚といえど一人の生命を奪ったという認識があるのかと訝る。法相の中には過去に宗教上の理由から刑執行を拒んだ大臣もいた。

 

 「確定判決によると、高見死刑囚は09年7月5日、自宅近くのパチンコ店にガソリンをまいて火をつけ、客4人と従業員1人を焼死させるなどして殺害し、10人に重軽傷を負わせた。事件の翌日に自首して逮捕された。

 弁護側は公判で「妄想の影響を受け、責任能力は限定的だった」と主張。11年の一審・大阪地裁判決、13年の二審・大阪高裁判決とも完全責任能力を認定した。16年の最高裁判決も支持し、「希望にかなう就職や将来の生活を考えて活動を続けながら、現状への不満を動機として犯行を決意しており、妄想の影響は大きくはない」とした。」

 

(追記)高見死刑囚は大阪拘置所で死刑を執行された。あの世に行った。キリスト教では自死ではパラダイスには行けない。刑死をした者はパラダイスに行けるのだ。だから、高見死刑囚は悪人だが、極楽に行ったはずだ。しかし、彼によって犠牲になった人や遺族の心情を考慮すると、極楽に行けた高見死刑囚への思いは複雑だ。(2026年8月29日に記す)

f:id:higachanntan:20260828055850j:image↑正蓮寺の本堂

 「お盆」と「川せがき」の違いについて、正蓮寺本堂で上人が説教されていた。「有縁無縁三界萬霊」の供養をして徳を積むことができ、自分自身にも救いがあると。有縁無縁三界萬霊に供養できたことに安堵している。

【追記】

 スーパーのダイエー会長であった中内功氏は此花区伝法の出身と聞く。彼の葬儀は正蓮寺で営まれた。墓も正蓮寺墓地にあったが、今は他の場所に移されたと聞いている。(2026年8月26日)

京橋駅空襲被災者慰霊祭

 今年も8月14日が来た。例年は寝屋川に沿って歩いていた。酷暑下なので、地下鉄で京橋駅まで行くことにした。慰霊祭の会場はJR京橋駅の南口なので、北口改札口で特別入場券をいただく。駅構内を通過して、南口改札口を出る。

 テントが張られている。昨年より参加者が少ないように感じる。お布施を受け付けに渡す。駅前の不動産屋の椅子に座らせていただく。

 読経が済んで、一般焼香でお祈りをする。父の実家が新喜多(しぎた)2丁目にあったから、爆撃音も聞こえただろう。今となっては、父もいないから戦争体験も聞けない。

f:id:higachanntan:20260823164731j:image↑慰霊祭の案内ハガキ
f:id:higachanntan:20260823164742j:image↑慰霊祭のリーフレット(初めてのリーフレット)
f:id:higachanntan:20260823164739j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260823164735j:image↑同上

f:id:higachanntan:20260823170420j:image↑京橋駅空襲被災者慰霊祭
f:id:higachanntan:20260823170414j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260823170425j:image↑同上(中央のビル群に大阪砲兵工廠があった)
f:id:higachanntan:20260823170439j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260823170430j:image↑同上
f:id:higachanntan:20260823170435j:image↑京橋駅連絡通路での平和街宣

 危惧することがある。高市内閣が軍需工場を「国立」で考えているとの報道が流れている。大阪砲兵工廠を米軍が昭和20年8月14日に1トン爆弾の猛攻撃をした。京橋駅周辺だけでなく、東野田注水所でも女学生が亡くなっている。

 戦争に行かないで、戦争で儲ける人。戦争に行かされて、戦争で被害を受ける人。戦時になると、人は望むと望まざるに関わらず、どちらかに区分けされる。戦争に巻き込まれないように、努力する人間になりたいと願っている。

 (参考:カンテレnews 20代の記者が見る 終戦前日の悲劇『大阪・京橋空襲』 戦争を知る世代と知らない世代2020年08月14日)

金塚ふれあい東公園

 あべのタスカル(大阪市立阿倍野防災センターの愛称)で「防火・防災管理等講習」を二日間(7月1日〜2日)にわたって受講した。

 昼休憩に周辺を歩く。阿倍野区だが、上町台地の西端になり、阿倍野区と西成区の境界が走っている。金塚ふれあい東公園で休む。まるで「壺の底」みたいな公園だなあが第一印象だ。あべのベルタには関西スーパー(通称「関スー」)の弁当を購入した。

 再開発事業でこの辺りの景観が一変したと聞いている。あべのキューズモールは再開発事業の結果にできた施設だ。旭屋書店、居酒屋の明治屋(近くで営業中)などの名店があったなあ。旭屋書店の向かいにはユーゴー書店もあった。ユーゴー書店は近くで教科書販売に特化しているらしい。

 もともとはどんな地域だったのか。

f:id:higachanntan:20260821135149j:image↑金塚ふれあい東公園
f:id:higachanntan:20260821135131j:image↑あべの筋からあべのハルカスを望む
f:id:higachanntan:20260821135134j:image↑阿倍野区松崎町
f:id:higachanntan:20260821135144j:image↑上町台地の西の崖
f:id:higachanntan:20260821135126j:image↑高潮が発生した場合(阿倍野区のハザードマップより転載)

 

 金塚地域活動協議会の広報担当の方にメールで次のような回答をいただいた。 

 「当該公園は、 大阪都市計画事業阿倍野地区第2種市街地再開発事業で整備された 阿倍野再開発2号公園(種別:近隣公園)の一部で、 都市計画上は金塚ふれあい中央公園と合わせて一つの公園となって います。(当初、 歩道橋で連絡して一体的な公園とする計画があったため)
  公園ができる前は、住宅・ 店舗など老朽木造家屋と挟幅員の私道が入り乱れた密集市街地で、 本公園付近は若干の高低差はありましたが、 いただいたメールにあります「壺の底」 というような地形はありませんでした。したがって、 現在の公園の形状は人為的に造られたものとなります。」

 この辺りの過去の画像がないかと目下探している。