義母(享年95歳)の葬儀参列のため、何年ぶりかで富山まで電車の旅をする。
金沢駅までサンダーバード号(指定席)で、金沢駅から北陸新幹線で富山駅(自由席)に向かう。
↑大阪駅11番線ホーム
↑大阪駅11番線ホームから見た風景
↑大阪駅
敦賀駅の変容には驚きが隠せない。新幹線仕様の駅舎。来年3月の北陸新幹線延伸に向けて、敦賀機関区の跡に広大な新幹線車庫ができている。
北陸本線敦賀駅を過ぎて、北陸トンネル敦賀側坑口の左側に「慰霊碑」が見えたが、写せなかった。JRは、大事故の碑に気づかない乗客を乗せて、新幹線で敦賀駅に滑り込むのだろう。
↑敦賀駅
北陸トンネル火災事故の概要は以下の通りである。1972(昭和47)年午前1時4分、大阪発青森行き下り急行「きたぐに」が全長13,870mの北陸トンネルを走行中、何らかの原因で列車火災が発生し、車両が燃えやすい材料だったことや、火災時の列車緊急停止が運転マニュアルで決められていたなど長大トンネル内における火災対策の不備のため、乗務員1名を含む30名が死亡し、714名が負傷した。犠牲者は焼死ではなく、一酸化炭素中毒死(1名は溺死)であった。(NPO法人失敗学会のHPを参照)
↑北陸トンネル走行中の車両内
新幹線の巨大な橋脚が北陸線に並行してできている。かつて北陸トンネル事故が起きたことをどれだけの乗客が知っているだろう。北陸トンネル火災事故以前には北陸トンネルに入る前に車掌のアナウンスがあった。長大トンネルの長さや工事期間の説明だったと記憶する。
新幹線仕様の駅が増えていくのだろう。ミニ東京がコピーのごとく地方にできていくのだろう。
↑福井駅
↑同上
↑芦原温泉駅
↑同上
↑そば畑
↑加賀温泉駅近くの観音像(処分がされてなかった)
↑金沢駅で北陸新幹線(東京駅行き)に乗り換える
↑富山駅(終着駅から通過駅になる)
↑富山地方鉄道富山駅構内のポスター
↑富山駅前
↑同上
富山地方鉄道の東新庄駅で初めて下車する。この町並みには懐かしい空気が流れている。
↑東新庄駅近くの土蔵
↑同上
↑富山地方鉄道東新庄駅(駅員がいる時間帯だった)
↑東新庄駅周辺
葬儀会場まで歩く。クルマの人から見れば、物好きな者が歩いているなと見えているだろう。
公共交通(バス)がない国道筋にある葬儀場なので、富山地鉄の駅から歩くしかなかった。しかし、収穫もあった。途中の町並みには心惹かれるものがあった。
家族葬の会場に私が一泊することになった。義母は富山県女子師範学校を卒業して、小学校と中学校の教師をしていた。中学校では地理を教える社会科の教師であった。また日教組の組合員でもあった。
斎場は2年前に改築されて、お骨を焚き上げるボイラーも新調されている。大阪市の斎場では2時間かかるが、富山市では1時間30分で焚き上がる。今回は1時間で焚きあがった。
お骨を骨壷に入れる。西本願寺の檀那寺の住職が「お骨は不浄でないので、素手でお骨を入れてください」と言う。(義理の)祖父母も父の時も素手で骨壷に入れたので、カルチャーショックはなかった。かえって私らの方が不浄だ。息子夫婦と孫たちもそれに従った。6歳の孫は血色が悪くなりk、お骨を骨壷に入れるのを嫌がった。彼女にはショックだっただろう。
↑富山市立富山斎場から見た立山連峰
↑二段の折り詰め、ボリュームも味も良かった
一泊二日の富山行であった。お浄土へ行かれた義母とのお別れは寂しいが、浄土での再会を願っている。
来年の3月に北陸新幹線が敦賀駅まで延伸する。沿線住民にとって、利益があるのだろうか。JR西日本の実質的な値上げゆえに多くの期待をしていない。
↑富山駅の張り紙(石川県と福井県の北陸線が第三セクターに)
↑金沢駅(北陸線ホーム)
↑小松市内の新幹線
↑線路は続くよ、どこまでも
【参考文献】
北陸トンネル火災事故について「NPO法人失敗学会」のHPを閲覧(2023.10.9)
富山県立いずみ高等学校(旧・富山女子高等学校)のHPを閲覧(2023.10.9)