東京都中野区天神町(現:中野区中野5-1)は、懐かしき第二の故郷(ふるさと)である。母方の祖母が住んでいた。小さな地面に木造の家が建っていた。夫婦と九人の子どもが住んでいた。貧乏人の子だくさんだ。祖父は戦後亡くなり、私の記憶にはない。写真でしか知らない。
夏休みが来ると、国鉄に勤める叔父が大阪まで私を迎えに来る。叔父は中野保線区に働いていた。保線区の売店に買い物に連れていってもらったりした。叔父は事故の責任を上司がなすりつけたと愚痴っていた。
私の家は乾物・塩干を商っていた。スーパーマーケットが進出する前は商売が忙しく、夏休みになると東京へ連れていかれた。なぜ僕だけがと拗ねたりした。1カ月近くも東京にいると、東京弁の子どもが一丁上がりになる。二学期が始まる。級友と話しても、変な眼で見られる。アクセントが違うので、大阪のぼんぼんに戻るのに時間がかかった。
天神町の家の跡は比較的見つけるのが容易かった。
↑中野区役所
↑徳川綱吉の犬屋敷跡
↑同上
↑氷川神社の祭礼
↑同上
↑同上
↑天神さま
↑同上
↑同上
↑天神商店街
↑天神
↑小川を埋め立ててできた道
↑かつてここに祖母の家があった
↑天神商店街
↑天神湯(11月まで休業)
↑同上
↑同上
↑同上
↑天神商店街のマップ
天神湯は中野区の銭湯でも有名であった。しかし、営業はしていなかった。11月まで休業だった。壁の絵は残して、浴槽は全面改装である。女風呂も同様である。
中野区の区報誌「なかの」は今年の二月号で中野区の銭湯を特集していた。天神湯は玄関が唐破風になっている。堂々たる銭湯なのだ。