月に一度の加古川市へ行く。阪神梅田駅から直通特急で明石駅まで。阪神甲子園駅でお客さんががさっと降りていく。高校野球でご贔屓のチームがあるのだろうか。甲子園球場は、内野も外野もアルプススタンドも完全予約制になっている。野球の聖地に向かう人々の足取りも軽いだろう。野球に関心のない私には何の感慨もないのだが。
↑阪神梅田駅
↑六甲山が見えてきた
2時間かけて、JR加古川駅に着いた。午前9時に出発して、午前11時に着いた。阪神電車、神戸高速鉄道、山陽電車を乗り継いで、明石駅でJR山陽本線に乗り換える。加古川駅で昼食を食べる。12時42分発谷川行きに乗る。1両編成だ。
↑加古川線ホーム
厄神駅で野暮用を済ませる。15時20分加古川駅行きに乗車する。1両編成。シートには座れず。立っている乗客も多い。約10分間の乗車。加古川線の改札口を通過して、加古川駅の改札口を出る。Uターンして、改札口を入る。JR明石駅で下車して、山陽電車明石駅の改札口を入る。
↑奥に淡路島が見える。JR山陽本線から撮影
↑同上
↑同上
↑山陽電車明石駅に到着
↑同上
↑同上。奥がJR明石駅
↑直通特急が入ってきた
↑山陽電車直通特急の車内。空席が目立つが、神戸に近づくにつれて乗客が増える
↑大蔵海岸
↑同上
↑明石海峡大橋が見えてきた
↑淡路島が見える
↑同上
↑同上
往路と同じルートをたどって、阪神梅田駅に帰ってきた。海側を走る阪神電車・山陽電車には詩情がある。快い疲れが残っている。
最後に、山陽電鉄明石駅で沿線情報誌『エスコート』を話題に取り上げる。8月号の特集は「明姫電鉄HISTORY」。今の山陽電車の前身である明姫電鉄が開通して100年になる。乗り鉄で歴男のヒガチャンとしては触れざるをえない。
神戸高速鉄道を利用したのは阪神淡路大震災(1995年1月17日)の時以来になる。28年ぶりになる。災害ボランティアで民医連の車に同乗して、番町住宅に安否確認に行ったのだ。神戸市立西市民病院が見えていた。番町住宅が傾いていた。ガソリンスタンドは地盤がしっかりしていて、びくともしていなかった。神戸高速鉄道も甚大な被害を受けた。
↑『ESCORT』8月号の表紙
↑明姫電鉄HISTORY
↑同上
↑同上
↑同上
【参考文献】
同志社大学鉄道同好会OB会ホームページ(「山陽電車(3)西代−兵庫間の道路併用軌道」)を2023年8月10日に閲覧。
神戸高速鉄道株式会社ホームページを2023年8月10日に閲覧。