東野田抽水所の8月14日

 毎年8月14日が来ると、JR京橋駅に足が向く。京橋駅南口の改札口には駅員が普段はいない。しかし、かつて南口は旧砲兵工廠に勤める通勤客で賑わっていた。片町線と城東線(現大阪環状線)の乗り換え駅だ。

 79年前の終戦(敗戦)の前日、アメリカ軍のB29爆撃機による猛爆を受けて砲兵工廠は壊滅した。その1トン爆弾が京橋駅で爆発した。多数の被災者が亡くなり、周辺の空き地や学校などで荼毘にふされた。被災者の霊を慰める京橋駅空襲被災者慰霊祭が第一回(昭和三十年)から数えて69回目を迎える。

 

 今年も8月14日(月)午前11時から「第六十九回 京橋駅空襲被災者慰霊祭」が京橋慰霊塔前(京橋駅南改札口側)で営まれる。

f:id:higachanntan:20230802114831j:image↑昨年の慰霊祭
f:id:higachanntan:20230802114827j:image↑同上。学生に語る照屋さん(当時、工業学校生)
f:id:higachanntan:20230802114834j:image↑平和の語り部(照屋さん、空襲体験者)

 

 京橋駅で数百人の人々が亡くなったという。正確な数字はわからない。『大阪市下水道事業誌』第一巻を読んでいると、今まで知らなかった歴史が見えてきた。

f:id:higachanntan:20230802114451j:image↑東野田抽水所
f:id:higachanntan:20230802114455j:image↑同上

 (昭和)20年8月14日の空襲で被災した東野田抽水所に当時詰めていた職員の証言を引用しよう。

 「東野田抽水所構内には、爆弾が沈砂池と倉庫の前に落ち、焼夷弾が北側ヒューム管置場の前と、入口付近の倉庫前に落下し、沈砂池と倉庫が大破し、焼損した。この時、構内に避難してきた大手前女学校(高等女学校の誤りか)3年生の学生2人のうち1人がヒューム管置場前で死亡、父母が来て、私たちが火葬してあげたのをおぼえている。また、沈砂池の前で40歳前後の男の人、防空壕付近で50歳前後の男の人が亡くなった。40歳前後の人は爆弾がまきあげた土に埋まっていて、その土の中から声がしたので土を除いてあげ、近くの病院へ運んだが、手遅れだった。入口付近では、爆弾の穴のふちで、20歳ぐらいの女の人が亡くなった。いずれも、口に泥がいっぱいつまり、鼻から激しく血を噴き出していて、じつに悲惨だった」

 

 京橋駅から少し足を伸ばしてみよう。そして瞑目しよう。

【追記】

 2023年の京橋駅大空襲被災者慰霊祭が8月14日午前11時から行われた。国会議員や各団体代表をはじめ、多数の方が参列していた。

f:id:higachanntan:20230814190553j:image↑新喜多大橋から京橋駅方面を見る
f:id:higachanntan:20230814190616j:image↑寝屋川を渡る片町線
f:id:higachanntan:20230814190623j:image片町線のガード下
f:id:higachanntan:20230814190600j:image京橋駅
f:id:higachanntan:20230814190547j:image↑寝屋川沿いを走るバス
f:id:higachanntan:20230814190603j:image↑貞徳舎の建物がなくなる
f:id:higachanntan:20230814190550j:image↑同上
f:id:higachanntan:20230814190613j:image↑同上
f:id:higachanntan:20230814190610j:image↑豊里矢田線から北を見る
f:id:higachanntan:20230814190606j:image↑貞徳舎の煙突もなくなる
f:id:higachanntan:20230814190556j:image↑慰霊祭の受付
f:id:higachanntan:20230814190620j:image↑慰霊祭に参列する人々

f:id:higachanntan:20230822091810j:image↑慰霊祭当日に出されたチラシ