寝屋川に架かる極楽橋を渡る。今福小学校横に野崎街道(古堤街道)の碑がある。北に向かって行くと、右折すれば皇大神宮が鎮座する。昔の家並みが残っている。
今福小学校は、鯰江第三尋常小学校として昭和6年4月に鯰江尋常小学校(現鯰江小学校)から独立した。ちなみに聖賢小学校は鯰江第二尋常小学校だった。今福小学校は令和3(2021)年10月に創立90周年記念式典を迎えた。
↑極楽橋の向こうに今福小学校が見える
↑極楽橋から上流をのぞむ
↑極楽橋から下流を見る
↑今福小学校は5年後に統廃合されると大阪市教育委員会議で決まった
↑極楽橋バス停。歩道になっているが、60年以上前はそこに家が建っていた
↑旧野崎道の跡(古堤街道ともいう)
北に向かって行くと、右折すれば皇大神宮が鎮座する。栄照寺の独特な鐘楼が見える。皇大神宮の本殿左に小さな祠がある。戦後まで阿倍野区松崎町にあった菅楯彦邸の庭にあった祠だそうだ。菅楯彦さんは、大阪市名誉市民の第一号であった。
↑S邸の蔵
↑同上
↑嶋田家の蔵(6段の石垣の上に立っている)
「段蔵」は「災害避難蔵」だと大阪市史編纂所の尾崎安啓所長からお聞きした。災害時、通風口に田舟を引っ掛けて脱出した話を聞いた。大阪民俗学研究会のフィールドワークで高槻市の旧高槻町長の段蔵で田舟を保管しているのを見た。西淀川区の池永邸では天井に田舟を保管されているのをかつて拝見した。中津川経由で現代よりも船場に早く行けたと池永氏からお聞きした。
嶋田家には太鼓が保管されているらしい。その太鼓は災害時の情報伝達に大きな働きをしたのではないかと考える。「緊急放送」の働きか。しかし田舟は保管されてないらしい。
↑嶋田家の玄関
↑嶋田家の石垣
↑同上
↑栄照寺の鐘楼が遠くに見える
嶋田家の玄関には祖父嶋田暁さん(考古学者)の表札が今もある。嶋田暁さんは難波宮址を守る会で活躍された。 地域では城東革新懇が1983年10月に結成されたが、『城東革新懇10周年のあゆみ』に嶋田先生(当時、堺女子短期大学名誉教授)が世話人として書かれている。
↑嶋田暁先生は、1989(平成元)年2月7日に旧城東会館(保健所2階)で講演された。「古代へのロマン-藤の木古墳について-」が演題
【参考文献】
『城東革新懇10周年のあゆみ』(非売品)
『峠道-嶋田暁先生追悼文集-』(2002年3月、難波宮址を守る会発行)
○大塩事件研究会会長の薮田貫関西大学名誉教授(兵庫県立歴史博物館長)に嶋田暁先生の思い出をお聞きした。学生の時に発掘で何度かお会いして、穏やかな人格の方と記憶している(2024年4月28日、大塩事件研究会フィールドワークでお聞きしましたので、文責はヒガチャンにあります)