長柄運河(中津運河)が果たした役割は、『大淀区史』(昭和63年刊)の「新淀川工事」の項に述べられている。戦後は舟運がなくなり、役割を終えた。今は淀川左岸線工事が進んでいる。
↑阪急バス中津6丁目停留所
↑阪急バスの路線廃止のお知らせ
↑阪急バス中津6丁目停留所
↑同上
↑地図
↑中津浜交差点
大阪市建設局淀川左岸線工事事務所に情報提供を求めている。気がかりなことが三点あるからだ。
まず、十三大橋の南詰に「十三小橋」が架かっている。この橋には、一般国道第176号線が通っている。昭和7(1932)年1月に供用された。長柄(中津)運河に架かっているが、今のところ工事の影響を直接受けてないようだ。
↑十三小橋
↑同上
↑水防碑(表)
↑同上(裏)
↑十三小橋
↑十三大橋
↑同上
次に、十三小橋に並行して架かる橋に「浜中津橋」がある。これも長柄(中津)運河に架かる橋なので、工事の影響を受ける。市道大淀区第27号線が走る。供用は昭和10(1935)年5月。
↑浜中津橋は撤去されていた
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
明治7(1874)年5月、大阪〜神戸間が開通した。明治10(1877)年2月5日、神戸で明治天皇を迎え京都〜神戸間の開通祝賀式が行われた。
大阪〜神戸間には、中津川・神崎川・武庫川などの川が流れていた。鉄道橋は四つすべてイギリスから輸入された錬鉄製であった。新橋〜横浜間の鉄道橋がすべて木造であったのに比べると大きな進歩であった。中津川鉄橋は九連のトラスで、長谷川小信画「中津川鉄橋図」に描かれている。
以上の鉄道橋は、明治20(1887)年から大正4()年にかけて撤去されていった。昭和61(1986)年になって、長柄(中津)運河の浜中津橋に、中津川鉄橋の橋桁の一部がそのまま使用されているのが判明した。浜中津橋は、産業遺産的価値のある構造物である。
↑浜中津橋(『大淀区史』より転載)
最後に十三大橋の南詰の堤防上に「常夜燈」がある。かつて通勤するバスから見た常夜燈だ。文化財に指定されていないだろう。大阪市建設局の図面にもないだろう。所有者も不明だろう。でも堤防上に存在する。大阪市建設局は道路交通の障害になるのは撤去したいだろう。一方、大阪市教育委員会文化財保護課は残してほしいだろう。今のところ、堤防上に残っている。
↑十三大橋の南詰の、大正9年に建てられた大阪では珍しく大型の常夜燈型の道標
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑十三大橋南詰の道標(『大阪の街道と道標(改訂版)』より)
↑十三大橋
以上見てきたように、浜中津橋は撤去されていた。大阪市建設局淀川左岸線工事事務所に問い合わせた。回答は「仮に撤去したが、西淀川区の中島新橋(大阪市西淀川区中島2丁目)にシートを被せて保存している」ということだった。土木学会などから保存の声が来ているらしい。
↑中津6丁目バス停に行く階段。異空間から抜け出すような感覚に囚われた。
【参考文献】
『大淀区史』(昭和63年11月)※著作権者が不明です。著作権者をご存知の方は当方にお知らせください。
『大阪の街道と道標(改訂版)』(武藤善一郎著、平成11年12月)※武藤善一郎さんは死去されており、著作権保有者をご存知の方は当方にお知らせください。
『はてなブログ(きーぼー堂)』に「大淀・中津」を取り上げて、浜中津橋の写真も掲載されています。https://keyboar.hatenablog.com/entry/20131104/1383494392