2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ガラス工場にあった石碑③

ついに「恋人」に逢える時がやってきた。 そんな甘い感情を抱いて、天王寺区の茶臼山の統国寺に向かった。朝だけにホテル街は眠ったように静かであった。普茶料理の阪口楼はコロナ禍で営業をしていないように見えた。インターフォン越しに訪問の趣旨を伝えた…

ガラス工場にあった石碑②

「鬼城繁太郎氏永世不忘碑」は、天王寺区の茶臼山にある統国寺にある。 その碑がもともとあった工場跡に足を向けた。 マンションの南西隅に石碑があった。 東を望む。生駒山の方向である。 北を望む。 旧ガラス工場の北側(馬車道)を東に向けて歩く。 100…

桜小橋があるなら、桜橋は何処にありや

大阪シティバス大阪駅⇆焼野35番の停留所に「桜小橋」がある。旧榎並川に架かっていた橋の名であろう。小学校5年生頃から毎日曜日に蒲生4丁目からバスで阪急阪神前まで乗った記憶がある。 近鉄バスも並行していた。停留所に留まるが、乗車できる停留所が決ま…

ガラス工場にあった石碑①

環状線京橋駅から東に歩くと、玉井ガラス製造所がかつてあった。その一角に「鬼城繁太郎氏永世不忘碑」があった。聖賢小在学時に京橋駅まで行事で列になって歩いた。視野の一部に石碑が見えた。その後もガラス工場の隅に石碑があった。ガラス工場が消え、マ…

片町線(京橋〜鴫野)の踏切名の由来

片町線の京橋駅を出て鴫野駅までには3つの踏切がある。東から順に鯰江踏切・馬の口踏切・新喜多踏切と並んでいる。鯰江と新喜多踏切は地名から付けられたと思われる。馬の口踏切はどうだろう。そんな素朴な疑問から踏切名の由来を考えてみた。 寝屋川と鯰江…

「大阪の宿」の菅原町と太平橋

大阪天満宮の鳥居を抜けて、日本基督教団天満教会の前を過ぎて、乾物の町で栄えた菅原町を歩いた。今は上に阪神高速道路の高架橋が走っている。しかし、下には昔の建物(乾物倉庫)がしっかり残っている。その建物にはちゃんと乾物類が収まっていると聞く。 道…