2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧
難読地名の一つの「新喜多」に私は住んでいた。今は鴫野東に住む。「鴫野」も難読地名だ。 城東区新喜多東1丁目(新喜多4丁目)にマンション計画が持ち上がった。70年以上住み慣れた土地で起きた計画。元の地主は早瀬家(新喜多新田下会所が残っている。今…
年末になると、自然と足取りが速くなる。ジングルベルの音楽に追いまくられる。天六の大阪くらしの今昔館に足を向けた。ケンタッキーフライドチキンの大きな袋を持つ、家族連れに瞬時目を向けたが、あっしには関わりがござんせんと木枯らし紋次郎になる。 ↑…
50年間、開館していた曽根崎警察署地下のコミュニティープラザが12月22日(金)に閉館した。ホワイティうめだ(梅田地下街)の入口を入って、左を見れば驚いた。 交番や警察に親しめるコーナーがあったりで、親しみやすい雰囲気のある場所だった。シャッタ…
猪飼野探訪会の足代健二郎会長と中野善則会員、ヒガチャンとで鼎談をした。興味深い話が出た。力道山、比賣許曽神社、和田アキ子、金正日、小阪城の城主などを話した。時間がすぐ過ぎた。 小阪城城主の磯野さんは散髪屋を辞められた。しかし、絵画で過去の記…
大阪法務局天王寺出張所に野暮用。四天王寺夕陽丘前駅で下車。北上して、3階で旧土地台帳と格闘する。やっと近畿日本鉄道の名が出てきて、コピーを請求した。こころ軽やかに、天王寺郵便局、天王寺区役所まで歩いた。 その途中に「大発見」をした。阪俗研の…
上六の中華料理「百楽」の建物の周囲には、仮囲いと足場が組まれている。旧関急ホテル→近鉄グリル→百楽と名称が変遷している。1960(昭和35)年の吉田地図「住宅地図」には関急ホテルが載っている。 『近鉄 50年のあゆみ』(昭和35年9月16日)によ…
ぼやき漫才といえば、人生幸朗・生恵幸子の名が浮かぶ。「ぼやき」で客を笑わせる芸には違和感があり、テレビ(寄席中継)に出演していると、チャンネルを替えた。ワッハ上方で「人生幸朗・生江幸子」展を見て、認識が少し変わった。 なぜ「ぼやき漫才」が嫌い…
朝日新聞デジタル(2023年12月16日の朝刊、東京都内版)の見出しに惹きつけられた。 見出しに「跨線橋 最後の景色焼き付け」「「渡り納め」あすまで」となっている。ついにその日が来たのか。「JR三鷹駅(三鷹市)近くの跨線橋の「渡り納め」が15日…
念願の「おみく字」を買い求めることができた。活版印刷の活字が入っている。出てきたのが「粉」一文字。 ↑ありがた〜いおみく字↑同上↑同上↑同上↑山添印刷のショップの名刺↑同上 ↑野江の三角公園の銀杏 来年の運勢やいかに。
元中華料理店の上六「百楽」(元関急ホテル)の周りに変化が起きている。心配していたことが現実のものになっている。大阪民俗学研究会の田野氏と今村氏と三人で歩いていた。この建物は何かと考えて、やっとわかったのだ。 「百楽」は今はシェラトン都ホテル大…
本町で買い出しをした。お妻さんは梅田へ。わては淀屋橋まで歩いていく。空模様がうっとしいが、歩くことにした。坂本スミ子の歌「たそがれの御堂筋」を口ずさみながら、淀屋橋まで。かつての恋人たちは元気にやっているかな。ヒガチャンも20代のころ、彼…
いつもは通過するだけの曽根崎警察署。思い切って警察署内に入った。入り口で訪問の趣旨を述べた。二階の総務課に尋ねなさいと言われ、階段を上った。 総務課で尋ねると、上司らしき方が指差しした。そこにはスクラッチタイルが一部保存されていた。説明板も…
西村朗の名を知ったのは、『鴫野の里』を読んでからだ。『鴫野の里』は、志宜野今昔会が昭和59(1984)年に発行したものだ。発行人は、城東区鴫野東二丁目に住んでいた川原市太郎氏。元小学校長だった。ご自宅を訪問して、3500円で購入した。 あとが…