2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

河内永和駅前

大阪商業大学のミニ講座を受講するため、JR河内永和駅を下車する。時間がまだあったので、大阪法務局東大阪支局にお邪魔する。邪魔するなら帰ってと言われそうだが、東大阪市永和二丁目の旧土地台帳と和紙公図を請求するためである。 永和(えいわ)という地…

別府(べふ)を歩く

加古川市の別府の近くに「大歳家住宅」があると聞いたのは、加古川駅にある加古川市民ギャラリーだった。去年の11月、菅原章夫さんの個展で教えていただいた。許可を得て、画業を披露する。 ↑遠くに加古川大橋↑松風こみち、旧別府鉄道車両↑別府港(遠くにあ…

麦秋から田植えへ

月イチの加古川行きが12年以上も続いている。 大阪駅から新快速に乗り、神戸駅で改札口を出た。構内のがんこ寿司はまだ閉まったままだ。貴賓室が店の奥にあったのに。 ↑神戸駅近辺の地図↑戦災復興の碑↑神戸駅広場↑神戸駅の山側 改札口を入って、ホームに上…

福島区玉川町4丁目を歩く

阪俗研の田野代表から段蔵の情報をいただいていた。いつでも行けると思っていた、福島区玉川町4丁目。大阪市史編纂所の『編纂所だより』(第60号)に「二十一人討死之碑」が取り上げられているので、余計に興味が湧いた。「だより」は、①「二十一人討死」の…

防災訓練

城東地域活動協議会主催の「防災訓練」にお邪魔した。会場は城東小学校。校庭に土俵があった。雨天にもかかわらず、1時間にわたって真剣な訓練が行われた。 心臓マッサージの訓練はヒガチャンにはきつかった。 ↑心臓マッサージの訓練↑城東消防署員の指示で…

白羽大介の名は消えず

白羽大介を「消えた喜劇人」と書いたが、『松竹新喜劇無休連続二十年記念 喜劇の系図』という小冊子が手元にある。昭和61(1986)年11月発行。松竹新喜劇文芸部・中座宣伝部作成。松竹株式会社演劇部監修。 「喜劇の番附」には、一頁に六葉の写真が載…

邸宅街(東大阪市の菱屋西)

東大阪市菱屋西はかつて高級住宅地であった。今もその名残りが見られる。気になっている洋館が近鉄奈良線の南側に残る。 ↑洋館の全景↑洋館(東側から見る)↑スクラッチタイル↑奈良線側が表門 おおさか東線河内永和駅と近鉄奈良線小坂駅の中間に洋館はある。樟…

城北市民病院

大阪市旭区高殿6丁目14-3に大阪市立城北(しろきた)市民病院があった。 昭和28(1953)年12月に開設された。平成5(1993)年11月末に閉院した。私の長女はこの病院で昭和59(1983)年4月に産まれた。しかし、ABO血液型不適合で長女は…