大友柳太朗の連鎖劇

 連鎖劇は昭和初期に流行したのは以前(天王寺区の壽光寺の項で)触れた。『大劇33年の夢舞台』によれば、「昭和12・13年頃、道頓堀の浪花座で大衆演劇が上演して評判を呼んでいた」と書いている。

 

 昭和41(1966)年3月、大劇が「実演と映画」の二本立て興業から映画を廃止した。「低料金で面白いお芝居(実演)を」のキャッチフレーズ。昭和41年6月1日初日の第四回公演が『謎の血文字屋敷』二幕十三場。「約三十年ぶりの連鎖劇の上演はめずらしさも手伝って、観客の出足もしごく好調であった」

 

 出演者は、大友柳太朗、高田浩吉里見浩太郎長谷川季子、久保菜穂子、三島ゆり子、戸上城太郎、名和宏、勝浦千浪(日本歌劇団)。

 

 連鎖劇の「難点は舞台・映画共に主要人物が同じ俳優でなければ具合が悪い」ことであった。「映画に映っていた俳優が、舞台に現れた時には全く違った人物では、観劇している客も戸惑い連鎖劇にならない」からだ。東映映画のフィルムを使って連鎖劇を上演したのだ。

 

【参考文献】

『大劇33年の夢舞台』(岡本友秋著、探究社刊、平成4年)