54歳で亡くなった岡晴夫

 近所のご老人が倒れて、救急病院に運ばれて4か月になろうとする。岡晴夫の弟子であったご老人から情報をいただいた。病院から介護施設に入居されたのだろうか。その後のことは不明である。 

 

 生き字引であったアイ老人。意識があるかもわからない。生死も不明だ。

 彼から岡晴夫ヒロポン中毒者だったことを聞いたのだ。当時の有名女性歌手が男に性的関係をしきりに求めていたことも聞いた。芸能界の裏を教えてもらった。

 

 『大劇33年の夢舞台』(岡本友秋著、探求社刊)は、元大阪劇場ライト係が平成4年3月に出版したもの。芸能人の裏話が描かれている。「岡晴夫、あの華やかな歌声」から引用する。

 「戦後の(昭和、引用者注)28年頃までは、大劇にとってはドル箱のような歌手で、岡の実演は絶対に大入り満員疑いなしの大盛況」だった。「ファンが喜んでくれるのなら何でもやる」サービス精神が旺盛な歌手であった。

 「昭和29年頃から急激に客の入りが落ち込み、(略)閑散とした客席を前に(岡は)歌い続ける」ようになる。「ハードなスケジュールをこなす為、疲労困憊した体を一時的に押さえるのに使用した」ヒロポンの常用が彼の身体を蝕むようになる。

 「岡さんの明るい笑顔」が消え、「舞台で顔を合わせても、絶えず険しい顔付き」に変わっていた。岡晴夫のワンマンショーでは人が呼べなくなり、菅原都々子・近江俊郎田端義夫らとの二枚看板」になる。

 岡本は「人間は境遇によって、これ程までに変わるものか」と心を痛めている。

 

 さて、8月が近づこうとしている。

 8月14日、城東区JR京橋駅南口で「京橋大空襲法要」が今年も開かれるだろう。寝屋川の南に東洋一の軍需工場があったことを地域の小学校では平和学習をしている。しかし、直接体験した方が少なくなってきた。

f:id:higachanntan:20230724094847j:image↑旧砲兵工廠本館(現在の大阪城ホール)
f:id:higachanntan:20230724094836j:image↑同上
f:id:higachanntan:20230724094843j:image↑旧砲兵工廠の地図

 

【参考文献】

岡晴夫を偲ぶ会(大阪)のHPを閲覧(2023.7.24) niro3711.sakura.ne.jp