今日は三隣亡なのか

今日は加古川行きの日だ。09時30分過ぎに最寄りのJRの駅に向かう。北新地駅に定時に着く。 JR神戸線に乗るか、阪神電車にするか。二者択一だ。結局、阪神梅田駅の改札口を通過する。 ↑姫路行き直通特急↑2001年製の車両↑行先表示板 阪神電車、神…

焼肉たむら本店

焼肉たむら蒲生三丁目本店はかつて、繁盛していた。たむけんが昨年渡米して、店は食パンメーカーの社長が買収したらしい。 しかし、今年に入って、店の看板が取り外された。内部の様子は不明である。 ↑焼肉たむら本店の跡 夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉

海老江八坂神社

福っくらトーク後、田野登代表、一善さん、ヒガチャンの三人(トリオ)は、海老江に向かった。東成郡と西成郡の長屋の違いや関西スーパーの短縮した言い方(関スパか関スー)と地域性などワーワー言いながら海老江八坂神社に向かったのである。 人も多い。車も多…

節分豆まき祈祷会(浦江聖天)

節分豆まき祈祷会(星祭)を浦江聖天で迎えようと大阪民俗学研究会のみなさんと鳥居の下で待ち合わせる約束だった。しかし、バスを乗り継いで鷺洲バス停に着いたのが13時30分。やってしまった。「大阪時間」で行動する習慣が抜けきらない。30分遅れで動…

檸檬忌

梶井基次郎は大阪で亡くなった。命日の3月24日を「檸檬忌」という。 ↑山門の碑↑歌舞伎俳優の墓↑同上↑同上↑同上↑分骨された梶井の墓(檸檬が供えられている)↑梶井家の墓↑同上↑同上

日本ブラッドバンク

大阪市電島屋橋ー今福線に乗って、蒲生4丁目から南森町まで高校時代に通学していた。南森町から北浜4丁目、そこから堺筋を本町二丁目まで南下していた。大阪市電が廃止への道を走っていた時代だ。 蒲生4丁目から蒲生三丁目までに右側に中北製作所本社があ…

浪曲研究会@高津宮

千日前線谷町九丁目で下車した。高津宮の鳥居をくぐる。結婚式場の二階が会場。満員盛況でご同慶の至り。 ↑真山隼人の浪曲研究会のチラシ 研究会と銘打っているだけ、意欲的な外題が出てくる。沢村さくらさんの三味線が場を盛り立てる。東成区の百軒長屋から…

ありがた〜い香里の成田山

天満橋の京阪シティモールで買い物をした。セーターを買った。大阪市プレミアム商品券で3000円の支出をした。 かつての松坂屋百貨店だ。日本橋筋から天満橋に移った。開店当日はすごい人出であった。階段で座る人もあった。高校一年生だった。屋上には遊…

吉田中大路町ぶらぶら

京阪電車神宮丸太町駅で下車して、熊野神社前まで歩く。聖護院(しょうごいん)あたりには八ツ橋の店が何軒もあり、目移りがする。 吉田神社の大鳥居の南には、吉田神社の社家(しゃけ)らしい家々が並んでいる。同姓の家があり、親戚筋かと推量する。 ↑蔵のある…

石町の三橋楼

『花の下影ー幕末浪花のくいだおれ-』(昭和61年4月、清文堂出版)の67頁に「石町 三橋楼」の絵が載っている。幕末期の大坂のグルメ本だ。316店舗が紹介されている。 執筆が朝日新聞阪神支局とある。執筆者の中に小尻知博記者と犬飼兵衛記者の名が見え…

正月に浪曲を聴く

昨日(1月4日)、阿倍野区民センターに出かけた。浪曲親友協会の恒例行事の「初夢で『見たよ聞いたよ』浪花節」だ。 ↑初夢で「見たよ聞いたよ」浪花節のチラシ ↑真山一郎(歌謡浪曲)↑京山幸枝若(かつて三味線は裏方であった)↑浪曲親友協会員の勢ぞろい↑松浦四…

新喜多は桜宮の氏地だった

かつて城東区新喜多4丁目(今は新喜多東1丁目)に住んでいたことは以前に書いた。今も新喜多新田会所跡が残る。楠有弘さんがご当主である。プロの写真家でもある。 新喜多神社があったが、桜宮に合祀された。新喜多4丁目は桜宮の氏地であった。桜宮のお祭り…

新喜多(しぎた)新田の長屋

難読地名の一つの「新喜多」に私は住んでいた。今は鴫野東に住む。「鴫野」も難読地名だ。 城東区新喜多東1丁目(新喜多4丁目)にマンション計画が持ち上がった。70年以上住み慣れた土地で起きた計画。元の地主は早瀬家(新喜多新田下会所が残っている。今…

「船場花嫁物語Ⅱ」を見て

年末になると、自然と足取りが速くなる。ジングルベルの音楽に追いまくられる。天六の大阪くらしの今昔館に足を向けた。ケンタッキーフライドチキンの大きな袋を持つ、家族連れに瞬時目を向けたが、あっしには関わりがござんせんと木枯らし紋次郎になる。 ↑…

コミュニティープラザの閉館

50年間、開館していた曽根崎警察署地下のコミュニティープラザが12月22日(金)に閉館した。ホワイティうめだ(梅田地下街)の入口を入って、左を見れば驚いた。 交番や警察に親しめるコーナーがあったりで、親しみやすい雰囲気のある場所だった。シャッタ…

河内小阪に大軌本社があった

猪飼野探訪会の足代健二郎会長と中野善則会員、ヒガチャンとで鼎談をした。興味深い話が出た。力道山、比賣許曽神社、和田アキ子、金正日、小阪城の城主などを話した。時間がすぐ過ぎた。 小阪城城主の磯野さんは散髪屋を辞められた。しかし、絵画で過去の記…

上町台地の蔵

大阪法務局天王寺出張所に野暮用。四天王寺夕陽丘前駅で下車。北上して、3階で旧土地台帳と格闘する。やっと近畿日本鉄道の名が出てきて、コピーを請求した。こころ軽やかに、天王寺郵便局、天王寺区役所まで歩いた。 その途中に「大発見」をした。阪俗研の…

上六の「百楽」のその後

上六の中華料理「百楽」の建物の周囲には、仮囲いと足場が組まれている。旧関急ホテル→近鉄グリル→百楽と名称が変遷している。1960(昭和35)年の吉田地図「住宅地図」には関急ホテルが載っている。 『近鉄 50年のあゆみ』(昭和35年9月16日)によ…

ぼやき漫才

ぼやき漫才といえば、人生幸朗・生恵幸子の名が浮かぶ。「ぼやき」で客を笑わせる芸には違和感があり、テレビ(寄席中継)に出演していると、チャンネルを替えた。ワッハ上方で「人生幸朗・生江幸子」展を見て、認識が少し変わった。 なぜ「ぼやき漫才」が嫌い…

「三鷹跨線人道橋」の撤去

朝日新聞デジタル(2023年12月16日の朝刊、東京都内版)の見出しに惹きつけられた。 見出しに「跨線橋 最後の景色焼き付け」「「渡り納め」あすまで」となっている。ついにその日が来たのか。「JR三鷹駅(三鷹市)近くの跨線橋の「渡り納め」が15日…

おみく字をゲットした

念願の「おみく字」を買い求めることができた。活版印刷の活字が入っている。出てきたのが「粉」一文字。 ↑ありがた〜いおみく字↑同上↑同上↑同上↑山添印刷のショップの名刺↑同上 ↑野江の三角公園の銀杏 来年の運勢やいかに。

元関急ホテルが破壊される?

元中華料理店の上六「百楽」(元関急ホテル)の周りに変化が起きている。心配していたことが現実のものになっている。大阪民俗学研究会の田野氏と今村氏と三人で歩いていた。この建物は何かと考えて、やっとわかったのだ。 「百楽」は今はシェラトン都ホテル大…

御堂筋(本町から淀屋橋)を歩く

本町で買い出しをした。お妻さんは梅田へ。わては淀屋橋まで歩いていく。空模様がうっとしいが、歩くことにした。坂本スミ子の歌「たそがれの御堂筋」を口ずさみながら、淀屋橋まで。かつての恋人たちは元気にやっているかな。ヒガチャンも20代のころ、彼…

懐かしの曽根崎警察署

いつもは通過するだけの曽根崎警察署。思い切って警察署内に入った。入り口で訪問の趣旨を述べた。二階の総務課に尋ねなさいと言われ、階段を上った。 総務課で尋ねると、上司らしき方が指差しした。そこにはスクラッチタイルが一部保存されていた。説明板も…

城東区の有名人➖西村朗(上)

西村朗の名を知ったのは、『鴫野の里』を読んでからだ。『鴫野の里』は、志宜野今昔会が昭和59(1984)年に発行したものだ。発行人は、城東区鴫野東二丁目に住んでいた川原市太郎氏。元小学校長だった。ご自宅を訪問して、3500円で購入した。 あとが…

百楽荘と泉岡宗助

元同僚との久しぶりの食事会。生駒山を越えて、富雄の「百楽荘」に集まった。A師匠から推薦されていた所だ。さすがA師匠、お目が高い。 「平斎の日記」(https://heisai.hatenadiary.org/entry/2021/07/14/025354)2023.11.27 「料亭百楽荘」泉岡宗助(泉屋土…

千日前線今里駅と鶴橋駅のマルコ

大阪メトロは民営化直後に「マルコ」(コマルマーク)を地下鉄駅から消しまくった。その結果、駅からマルコが消えた。しかし、よ〜く見れば構内に見つけることができる。 千日前線今里駅にも残っていた。 ↑千日前線今里駅↑マルコの跡 一駅隣りの鶴橋駅でも見つ…

蒲生の正福寺

古堤街道(野崎街道)をJR京橋駅に向けて歩く。今里筋を渡って、堤から北に降りる。若宮八幡宮と杉田善右衛門家の間に、本願寺派正福寺(蒲生4丁目10-27)がある。東隣には蒲生行者講がある。 最近、正福寺の土塀に「正福寺の沿革」が掲げられた。『城東…

上小坂の竹中邸

上小坂の竹中家住宅で「講談会」があるよと知人から教わる。東大阪市内に旧家があると聞き、食指が動いた。近鉄長瀬駅から徒歩で15分。迷わずに行けるかなと不安になる。近鉄鶴橋駅から長瀬駅まで運賃が240円。50年前にニセ近大生になって、講義を受…

二都物語

急に寒くなった時に京都市内に泊まる。鳥辺野と言われたあたりで宿泊。インバウンドが戻ってきた。外国人が観光に来る。マネーを落としてくれる。でも、20時くらいになると、ホテルに戻ってしまう。夜を楽しむ人は大阪のキタへ足を延ばす。タクシーの運転…