かつて城東区新喜多4丁目(今は新喜多東1丁目)に住んでいたことは以前に書いた。今も新喜多新田会所跡が残る。楠有弘さんがご当主である。プロの写真家でもある。
新喜多神社があったが、桜宮に合祀された。新喜多4丁目は桜宮の氏地であった。桜宮のお祭りのポスターが町会の掲示板に貼り出されていた。花代も集めに来ていた。玉垣に「早瀬新喜多事務所」の名が見える。桜宮と新喜多新田とのつながりがわかる。
しかし、今は他の神社の地車が来ている。草刈り場みたいになっている。私は桜宮に初詣に行く。近くに八剱神社があるのに。氏神の桜宮で結婚式を40年以上前に挙げたから。
↑桜宮
↑一列に参拝の行列が続く
↑玉垣に「新喜多町4丁目 早瀬新喜多事務所」
↑玉垣に「網島町 太閤園」
↑玉垣に「大阪市社会福祉協議会長 駒井信義」の名が。「ほねつぎの駒井」で有名でもあった。赤い羽根募金を推進された。大阪家庭裁判所調停委員もされた
↑玉垣に今はなき「鐘淵紡績 淀川工場」の名が
参拝後、国道1号線を横断して、網島町に入る。旧太閤園の側を通る。藤田観光が大阪の太閤園を創価学会に売却した。その後、足が遠のいていた。
↑日建設計が設計・監理
↑大林・竹中・浅沼・藤木建設共同企業体が建設
↑工事計画のお知らせ
↑創価学会 関西記念大講堂ができるのか
↑今週の工事計画
↑建築許可の表示ほか
↑同上
↑同上
↑パネル越しに残る建物が見える
どんな建物ができるのか。不安でもあり、期待もある。ただ周囲の環境とマッチした建築物になることを願うのみである。