野崎駅から住道駅まで

 5月13日の午後、雨中の野崎駅から歩いて、大東市立歴史民俗資料館で開かれている「野崎観音信仰の広がりと大塩平八郎門下の豪農」展(〜5月26日)を参観した。野崎駅から国道170号線(近鉄バス道)沿いに旧四条小学校跡に資料館がある。

f:id:higachanntan:20240514180026j:image大東市の地図

 小学生の頃、バスで瓢箪山駅(母方の祖父母が東大阪市昭和町天理教教会長をしていた)まで行ったことがある。寺川から東に少し阪奈道路を走ると、阪奈道路料金所があった。
f:id:higachanntan:20240514180037j:image↑寺川交差点から生駒山方面を見る

f:id:higachanntan:20240514180045j:imageダイエー大東寺川店
f:id:higachanntan:20240514180021j:image↑葦が生えている(河内湖があったから不思議はない)

 寺川交差点で阪奈道路と国道170号線が交わっている。四條畷駅や住道駅から新花園駅まで近鉄バスが運行している。かつては梅田駅から蒲生四丁目、寺川経由で瓢箪山駅まで近鉄バスが走っていた。また、阪奈道路経由で奈良行きバスもあった。二階建てバス(ビスタカー)に乗るのが楽しみだった。

 寺川交差点には高い塀が続いていた。それが大阪拘置所(今は都島区にある)だったと記憶する。現在は府営住宅に建っている。
f:id:higachanntan:20240514180053j:image↑国道170号線(別名:バス道)
f:id:higachanntan:20240514180034j:image↑寺川交差点
f:id:higachanntan:20240514180042j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240514180101j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240514180058j:image近鉄バス産業大学前バス停

 近鉄バス阪奈道路(平野屋や大東市役所前)を通って、住道駅まで戻った。片町線が高架になる前、1972(昭和47)年7月の大雨による洪水で寝屋川が氾濫した。住道駅周辺の住宅は床上浸水した。大東洪水訴訟になった現場だ。寝屋川は鋼矢板で抑え込まれた。洪水氾濫の不安からから住民は解放された。
f:id:higachanntan:20240514180018j:image↑寝屋川(東方を見る)
f:id:higachanntan:20240514180029j:image↑住道(すみのどう)駅前のマンション建設
f:id:higachanntan:20240514180040j:image↑JR住道駅から北を見る
f:id:higachanntan:20240514180050j:image↑寝屋川(西方を見る)
f:id:higachanntan:20240514180048j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240514180104j:image↑寝屋川の浚渫
f:id:higachanntan:20240514180023j:image↑JR住道駅
f:id:higachanntan:20240514180107j:image↑同上
f:id:higachanntan:20240514180056j:image↑マンション建設現場
f:id:higachanntan:20240514180032j:image↑JR住道駅からコムニュティバスが出ている