千日前線谷町九丁目で下車した。高津宮の鳥居をくぐる。結婚式場の二階が会場。満員盛況でご同慶の至り。
↑真山隼人の浪曲研究会のチラシ
研究会と銘打っているだけ、意欲的な外題が出てくる。沢村さくらさんの三味線が場を盛り立てる。東成区の百軒長屋から高津宮に会場を移してきた。お客さんの反応もよく、演者もはつらつとしている。実力派の隼人さんにとっていい培養池になるだろう。
↑谷町九丁目交差点
↑同上
↑上町台地を下っていく
↑さらに西へ
↑北を望む
↑高津宮の鳥居
↑参道
↑同上
↑梅の橋
↑梅の橋説明板
↑黒門市場の「あそこ」の玉垣
↑北野恒富筆塚の説明板
↑北野恒富先生筆塚
↑裏面
↑同上
↑北野門下生葉束会
↑梅の井
↑梅の井説明板
↑幕の内はどうなっているのか
↑菅楯彦の絵画
↑真山隼人(右側)と沢村さくら(左側)
↑菅楯彦の書
↑勧善歌碑
↑勧善歌碑の説明板
↑五代目桂文枝之碑
↑五代目桂文枝の碑説明板
↑碑の裏面
↑木谷蓬吟・千種先生之碑
↑木谷蓬吟・千種顕彰碑説明板
↑絵馬堂(成瀬國晴制作の絵馬)
↑絵馬堂(菅楯彦制作の絵馬)
↑大阪市歌
↑高津宮の坂
↑同上
↑同上
↑右手に大阪名物の高津の黒焼き屋があった。イモリの黒焼き(惚れ薬)や願かけのへびなどを売っていた
↑次回の「真山隼人の浪曲研究会」のチラシ
イモリの黒焼き屋を若い頃に見た。効能はあったのだろうか。試したかったなあ。それは真実の愛ではなかろう。効能が醒めたら、女性は私を見て、どう思うだろうか。
真山隼人さんの住所は前に阿倍野区在住と本人から聞いた。参加者の中に隼人さんと親しい方がいた。阿倍野区松崎町辺りに住まわれていると聞いた。俄然、食指が動いた。松崎町といえば、邸宅街であの菅楯彦の家があったところだ。大阪市名誉市民第一号の菅楯彦の居住地だ。
まち歩きはやめられません。
【参考文献】
『浪速高津宮案内記』社務所で有料で頂ける。
(『高津さんの今昔』も上記の案内記と一緒に頂ける)