難読地名の一つの「新喜多」に私は住んでいた。今は鴫野東に住む。「鴫野」も難読地名だ。
城東区新喜多東1丁目(新喜多4丁目)にマンション計画が持ち上がった。70年以上住み慣れた土地で起きた計画。元の地主は早瀬家(新喜多新田下会所が残っている。今木屋多兵衛の子孫が早瀬家である。早瀬家は芦屋市に住んでいるらしい)。土地台帳で見ると、ある不動産会社が保有している。土地開発申請は出ていないそうだ。借地人はすべて転居しているので、いつかは計画が動き出すだろう。
↑長屋
↑路地
↑路地の奥
↑同上
↑長屋
↑同上
ワンルームマンションが建つとの噂だ。不動産会社は地上げで有名な大阪の企業だ。
新喜多新田の歴史については、早瀬新喜多事務所のご当主の楠有弘氏から以下の文書を提供いただいた。
↑新喜多町 今木屋多兵衛の家系
↑新喜多新田の開発
↑同上
新喜多新田は旧片町駅(片町線)から寝屋川沿いに細長く続いている。新喜多大橋から旧楠根川(旧大和川)沿いに東大阪市高井田まで続いていた。東大阪市森河内に早瀬橋(近鉄バス停留所)がある。
【参考文献】
『大阪春秋』(167号)「新喜多新田と上下の会所」別所秀高
※早瀬新喜多事務所の当主楠有弘氏から提供された文書の出所は明瞭ではないことを付記します