西村朗の名を知ったのは、『鴫野の里』を読んでからだ。『鴫野の里』は、志宜野今昔会が昭和59(1984)年に発行したものだ。発行人は、城東区鴫野東二丁目に住んでいた川原市太郎氏。元小学校長だった。ご自宅を訪問して、3500円で購入した。
あとがきに「しぎの里」の作曲が「鴫野出身で東京芸大講師である新進作曲家西村朗氏」であることを紹介している。
↑「しぎの里」の楽譜
西村朗氏は2023年9月7日、69歳で亡くなった。毎日新聞(2023年12月31日の朝刊)を見ると、日本音楽コンクール委員長・現代音楽作曲家と紹介する。
↑西村朗の生家
↑同上
↑同上
『未聴の宇宙、作曲の冒険』(共著、春秋社、2008年)に自らの半生を書いている。
1953(昭和28)年9月8日に大阪市城東区鴫野東4丁目15-10で生を享ける。兄弟姉妹はなし。
父は稔(1916〜2003)。国鉄片町線鴫野駅前で自転車店を経営した。
母は花香。1917年生。城東区役所に勤務した。
朗は1960(昭和35)年4月、大阪市立城東小学校入学する。幼年期から10歳ころまで目立つところがなかった。