古堤街道(野崎街道)をJR京橋駅に向けて歩く。今里筋を渡って、堤から北に降りる。若宮八幡宮と杉田善右衛門家の間に、本願寺派正福寺(蒲生4丁目10-27)がある。東隣には蒲生行者講がある。
最近、正福寺の土塀に「正福寺の沿革」が掲げられた。『城東区ふれあいマップ』には、それは載っていない。正福寺の住職の名字は蒲生さん。蒲生の蒲生さんなのだ。
「蒲生」の地名の由来の通説は「蒲の穂が生えるほどの低湿地」からと言われる。かつて城東区役所が「蒲生のいわれ」の説明板を正福寺に建てる許可を求めたらしい。故人の坊守さんが断ったらしい。なぜか。その説明板は、杉田家所有の蔵(イタリア料理店に貸している)の前に立つ。
1614(慶長十九)年に蒲生氏から「蒲生」姓を名乗ることを許されたことが正福寺の保有する文献にあるらしい。少なくとも1614(慶長十九)年から蒲生姓が続いていることになる。蒲生姓の前は「藤本」姓と聞いている。
↑正福寺の境内
↑菊が見頃
↑鐘楼
山門と鐘楼は大正時代に建てられた。大阪大空襲でも焼け残った。戦争遺構なのだ。本堂などの建物は全焼した。また鐘も供出していた。
お隣の杉田家の茅葺き屋根は焼け残ったらしい。まち歩きの人をたまに見かける。若宮八幡宮や蒲生行者講を見ていくが、正福寺の境内を見る人は少ないらしい。それで今の坊守さんが寺の由来を書いた説明板を作ったそうだ。
↑正福寺沿革
↑写経会のお知らせ
↑鐘楼
↑鐘楼
「榎並十四日講」があるのをこの説明板から初めて知った。
石山本願寺を織田信長が兵糧攻めをした。それを聞いた榎並十四日講の農民たちが青田刈りをして顕如上人を助ける。感謝した上人が「ご消息」を出した。それが「青田のご文章」なのだ。
好奇心の強いヒガチャンは、顕如上人の「青田のご文章のご消息」をぜひとも拝見したいものだ。榎並十四日講のどの寺が持っているのだろうか。三ヶ寺に問い合わせをしてみよう。