2022-01-01から1年間の記事一覧
古堤街道に面した診療所から自宅への帰路に、段蔵を発見した。よく通る道なのに、なぜ気づかったのだろうか。見ているつもりなのに、見ていないのだ。 古堤街道(野崎街道)からすぐのところに蔵が立っている。今福南1丁目にある旧家の一隅にある。 地下鉄鴫…
大阪府門真市の三島(みつしま)神社境内のクスノキの巨木を「薫蓋樟」と呼んでいる。推定樹齢は1000年以上といわれている。1938(昭和13)年に国の天然記念物に指定された。大阪府最大の木である。 三島神社の鳥居三島神社の説明板三島神社の本殿薫蓋…
ワクチン接種4回目を「やすらぎ天空館」で受けた。そのまま自宅に帰ればいいのに、墓マニアの虫が騒いだ。大阪市設南霊園の事務所で地図をいただき、お参りに行った。 關一(せき はじめ)元市長の墓に参った。7代目大阪市長。御堂筋の拡張、地下鉄建設など…
旧大阪市立曾根崎東小学校は名称を変えて存続していた。大阪市立北小学校となった。今は大手不動産会社の超高層マンションになっている。地域のまとまりの象徴であった学校がなくなった。 町会の会館(コミュニティホール)が2階に入居している。一角に北小学…
城東区新喜多1丁目は、寝屋川の北岸にある。父の実家は新喜多2丁目にあった。私のふるさとでもある。 三宅タンス店にはタンスを買いに行ったことがある。ガラス戸を引いて、品定めをした記憶が残っている。 昨日、近所にお住まいのTさんと町会長のお二人に…
何十年ぶりに新潟市を訪ねた。上越新幹線に乗って、トンネルを抜けると雪国新潟駅に着いた。かつて駅舎があった所は大きな地面が広がっていた。6月4日からすべての線が高架化された。線路の付け替え工事で運休した線区もあった。代替バスが走ったらしい。…
加古川駅に向かう途中で神戸駅で下車した。東海道本線と山陽本線の始発駅であり、終着駅でもある。神戸駅5番線ホーム。 神戸駅の改札口を出た。南側を歩く。高架下の工事がされている。 北口にも足を向ける。がんこ寿司の店の奥に貴賓室があるらしい。無理…
大阪民主新報(2021年1月24日号)に私の投書が載った。それを再掲することをお許し願いたい。 ◯◯区に生まれて70年。戦禍を免れ、長屋が残る地域。爆弾ですっかり焼かれた町。人口密度が高いが、住みやすい区だ。 最近、街路樹が気になっている。見る…
港新地(夕凪新地ともいう)の調査は、土地の古老(86歳)から聞いたことに始まる。 19歳の時の思い出だった。はじめてのまぐわいは滝井新地だった。二度目の女性との交合であった。丸窓の奥に娼婦たちが見えた。遣手婆が声をかけてきた。先輩に連れられて来…
新地巡りも大阪市港区を歩くことになった。今は住宅街に変貌して、過去の記憶をたどることはできない。住民の方に聞き取りをして、新地があり、周辺の商店街や飲食店、待合・旅館・料亭・スタンドバーは賑わっていたらしい。朝潮橋に市電の車庫や研修所があ…
5月15日、遊び人二人で「裏鷺洲」を探すことになった。私に期待されていた役割は、他所者が鷺洲に新たな発見をすることにあった。浅学非才な拙者に役割を果たすことができただろうか。 国鉄環状線(現JR西)福島駅から歩みを始めた。福島聖天通商店街を通…
クラブコスメチックス株式会社(大阪市西区西本町2-6-11)の1階の文化資料室で第18回企画展が開かれている。事前予約制で申し込んだ。私一人であった。写真撮影は一部を除き厳禁である。 「女性」展のポスター クラブコスメチックス(元中山太陽堂)は…
眼科に通院するために地下鉄今里駅から暗越奈良街道を歩いた。 東成消防署横の道標 奈良街道道標 同上同上同上同上同上 道標の横のビル工事で足場を組んでいた。足場で道標が見えなくなることはないと工事関係者が言った。 今里小学校の校門を通過して、北上…
お江戸は日本橋(にほんばし)、大坂は日本橋(にっぽんばし)と読む。大阪市浪速区の日本橋筋はかつて、電気街として有名だった。今はメイド喫茶などで賑わっている。紀州街道であった堺筋は江戸時代の公儀道であった。参勤交代で大名などが通る道であった。庶…
土曜の午後、大阪城は密であった。コロナの感染状況の悪化を心配する。気がつくままにカメラを向けた。 大阪歴史博物館から見た大阪城公園教育塔の説明板正面から見た教育塔室戸台風で教員や児童などが亡くなった正面の扉 日教組が維持管理しているNTT西日本…
深江稲荷神社の周辺に段蔵があると聞いて、深江を歩いてみたくなった。近世には深江村、明治22(1889)年には東成郡南新開荘村大字深江であった。大正5(1916)年に神路村となる。そして、大正14(1925)年に大阪市東成区に編入した。 今でも「人…
城東区出身の有名人と来たら、大阪市立菫中学校出身の西田佐知子ではないだろうか。「アカシアの雨がやむとき」などのヒット曲で有名だ。1939(昭和14)年に大阪市城東区で生まれた。1960(昭和35)年の吉田地図を見ると、野江に西田という家が複数…
谷町四丁目駅から本町通りを下っていく。ホテルやマンションがにょきにょきと建っている。坂の途中に「浪曲親友協会」の事務所にある。そこに顔を出す。中田萬夫元事務局長(死去)の思い出話をする。元国鉄労働者だったとは知らなんだ。また顔を出すと約束し…
「宿場町枚方を考える会」総会に出席するため、京阪枚方市駅に降り立った。駅で周辺地図をもらって、会場に着く。 せっかく枚方に来たのだから、京街道を歩く。駅前は市街地再開発事業が進行している。 白壁に「京街道案内図」が掲示されている落ち着いた街…
湿度が増して、空模様が怪しくなる。千林公園横の交番で大楠(寶龍寺)への道順を聞く。年配のお巡りさんが丁重に教えてくれる。今市1丁目の狭い道を北に向かって歩く。四本の大楠は天然記念物に指定されている。最近、剪定したため、その大きさがわかりにく…
滝井新地は雨だった。守口市滝井西町2丁目の一角にそれらしき料亭が並んでいた。どこも暖簾がかかっていなかった。夕方から営業が始まるのだが、調査に入ったのは午後も早い時間だった。 京阪電車側から見る滝井駅と千林駅の中間に位置する住宅やマンション…
城東区蒲生4丁目交差点を北に行くと、蒲生児童遊園がある。ここは元城東消防署が建っていた。第二室戸台風で火の見櫓が倒れた。それで前を通る国道1号線が一時不通になった。 その後に、現在地に城東消防署が移転してきた。 遊園の掲示板に「歩道橋」を潰…
旧古市村の段蔵を調査した時に、ある喫茶店の主人から聞いたことがあった。遅い昼食を食べようと入店した。軽い気持ちで地域の歴史について聞くと、主人の口から興味深いことを聞くことができたのだ。以下は喫茶店主からの聞き書きである。 【千林商店街の近…
城東区天王田(てんのうでん)にも広義の段蔵がある。 道を隔てた北側に楠根川(旧大和川)が流れていた。邸宅の北東側に段蔵がある。 別の邸宅の蔵である。私有地のため、近づくことができなかった。 邸宅内にあるため、石垣の高さは不明である。同姓の邸宅が固…
蒲生4丁目の、古堤街道の北に資産家の邸宅がある。生駒山まで、他人の土地を踏まずに行けるほどの広大な土地を保有したと言われる資産家だ。今は株式会社になって、遺産相続対策をしている家と言われる。蔵が道をはさんで残っている。 蔵を活用して、食事が…
百楽本店を北に行くと、村社の東高津宮にたどり着く。 この神社の現住所は、天王寺区東高津町である。しかし、この社はかつて東高津南之町にあった。近鉄上本町駅の九番線ホームあたりにあった。昭和七年、大阪電気軌道(略して大軌、現在の近鉄電車)の駅舎…
大軌という会社名は私には馴染みのない名前である。近鉄の方が馴染み深い。近畿日本鉄道、近鉄バス、近鉄不動産など。城東区に「大喜橋」という、城北運河(城北川)に架かる橋がある。近くにあった病院で同室になった男性が教えてくれた。大軌四条畷線「大軌…
灯台下暗しと言おうか、自転車で鴫野西から鴫野東へと足を伸ばした。段蔵があるではないか。 北河内・高槻市に目を向けていたが、大阪市内の旧東成郡(旭区・城東区・鶴見区・都島区・東成区・生野区)に調査をしていきたい。 まず、「段蔵」の定義から明らか…
2021年6月25日、上町台地西端の住宅の崩落事故はマスコミを賑わせた。現場には記者たちが崩落を期待して屯していた。 最後の一軒が西成区側に立っていた上町台地西端に位置する。急傾斜になっている記者たちは何を待望しているのか住民たちは一躍マス…
シャンソンコンサートの帰りに東高津町を歩く。上六の百楽が閉店の紙を貼っていた。 ↑旧関急ホテルの西側 ↑旧関急ホテルの玄関 ↑旧関急ホテルの向こうにシェラトン都ホテル大阪の威容が見える ↑東側にコインパーキング ↑蔦が絡まっている 関急ホテルだったと…