大阪民主新報(2021年1月24日号)に私の投書が載った。それを再掲することをお許し願いたい。
◯◯区に生まれて70年。戦禍を免れ、長屋が残る地域。爆弾ですっかり焼かれた町。人口密度が高いが、住みやすい区だ。
最近、街路樹が気になっている。見るも無残に伐られているのだ。大阪市があちこちでしているらしい。
切られた跡(筆者注:升)がアスファルトで舗装されている。木が二度と植えられないことを示している。
大阪市は緑が少ない。◯◯区の緑被率は低い。台風21号で街路樹がなぎ倒され、撤去された跡には低木が植えられた。高木を切って低木を植える措置に疑問を抱く。
大阪市は「人や車の通行の妨げ」になる高木をなくすというが、それで人が住みやすい街になるのだろうか。
1年以上前の投稿文だが、大阪市の街路樹管理に対する私の危惧は変わらない。大阪市に電話をすると、現場の職員は上から命じられると逆らえないので、大阪市民が直接に意見を述べてほしいと回答してくる。
大阪市の街路樹管理政策が変わったのか。職場文化が人事政策で変質したのか。自治体労働者(大阪市の地方公務員)は、公平・中立がモットーであり、日本国憲法に従うと「宣誓書」を提出する。
果たして、私たちは「木陰」をとるか、「アスファルト」をとるか、どちらをとるのか。
今里筋の街路樹をバッサリ
【後日談】
6月10日の午前、現場に足を向けた。芭蕉翁の「夏草や」の句が浮かんだ。三叉路をクルマが疾走している。汗が滲んでくる。かつて近隣の人によってお供えがされていたのが、今はお供えがなくなっている。
三叉路
霊はいずこにあるのだろう。霊は浮かばれているのだろうか。鎮魂のために私は静かにシャッターを切った。
【参考文献】『街路樹は問いかける–温暖化に負けない〈緑〉のインフラ–』(岩波ブックレット)