野江から京街道を歩く

 城東区出身の有名人と来たら、大阪市立菫中学校出身の西田佐知子ではないだろうか。「アカシアの雨がやむとき」などのヒット曲で有名だ。1939(昭和14)年に大阪市城東区で生まれた。1960(昭和35)年の吉田地図を見ると、野江に西田という家が複数あった。

f:id:higachanntan:20220501175241j:image京阪電車野江駅
f:id:higachanntan:20220501175326j:imageおおさか東線野江駅
f:id:higachanntan:20220501175256j:image長屋街
f:id:higachanntan:20220501175316j:imageおおさか東線野江口
f:id:higachanntan:20220501175310j:imageおおさか東線を見る
f:id:higachanntan:20220501175322j:imageレンガ道とおおさか東線が交わる
f:id:higachanntan:20220501175230j:image城東野江郵便局
f:id:higachanntan:20220501175236j:image春日井製菓大阪支店
f:id:higachanntan:20220501175305j:image夜店通り(旧京阪電車の軌道)と交差

 

 野江の古老(Kさん)のお出ましを願った。1939(昭和14)年生まれで菫中学校まで自転車通学が許されていたらしい。地域の物知りの方。今でも西区まで自動車で行かれる御仁である。商売もご盛業と聞く。

 

 関西電力野江変電所の近くは長屋街が広がる。最近はマンションも建っている。かつては西田姓の家が多かったらしい。その中でKさんは地図(2020年のゼンリンの住宅地図)を指差した。もちろん住居の主人は変わっていた。

f:id:higachanntan:20220501181432j:image野江の街並み
f:id:higachanntan:20220501181457j:image同上
f:id:higachanntan:20220501181503j:image突き当たりに榎並地蔵がある
f:id:higachanntan:20220501181415j:image手前が旧榎並川
 榎並川を渡ると、京街道に交わる。榎並川を南に行くと、桜小橋の交差点になる。主要地方道大阪環状線から国道1号線に向かう抜け道になっている。都市計画道路豊里矢田線(疎開道路)が全通していない状態はあと15年かかるかもしれない。

f:id:higachanntan:20220501194104j:image榎並地蔵
f:id:higachanntan:20220501194100j:image榎並地蔵の北の街並み
f:id:higachanntan:20220501194016j:image京街道の地図
f:id:higachanntan:20220501194048j:image榎並地蔵のいわれ
f:id:higachanntan:20220501194053j:image京街道の石碑
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f:id:higachanntan:20220501194042j:image京街道
f:id:higachanntan:20220501194029j:image京街道が商店街のアーケードに
f:id:higachanntan:20220501194121j:image真実の口

 野江墓地から榎並川を渡る。渡れば京街道に。榎並地蔵を通過して、京橋中央商店街のアーケードを通る。国道1号線と京街道が交わるところに「真実の口」がある。真実の口の文案は、商店街の理事長が考えるらしい。時事的なもので評判が高い。読者諸賢は注意を向けられよ。

 

【参考文献】

中村泰士(作曲家)がかつてABCラジオに番組(日曜日の午前中)を持っていた。そこで西田佐知子との思い出を語っていた。白いスポーツカーに乗った彼女が家の前に止まって、遊びに誘われた思い出を披露した。彼女の売れっ子時代を彷彿とさせる。彼女の青春時代の一コマを知られる貴重な証言だ。