何十年ぶりに新潟市を訪ねた。上越新幹線に乗って、トンネルを抜けると雪国新潟駅に着いた。かつて駅舎があった所は大きな地面が広がっていた。6月4日からすべての線が高架化された。線路の付け替え工事で運休した線区もあった。代替バスが走ったらしい。
万代口から駅跡を見る
新新潟駅は個性のない駅になった
バス乗り場
万代橋の欄干
海抜0メートル
信濃川を渡り、古い新潟に
信濃川に架かる、重要文化財の萬代橋
昭和4年建設
鉄筋コンクリート橋
萬代橋の説明板
高浜虚子の句碑
句碑の説明板
通りは信濃川に並行する道を指す。小路は通りと交差する道をいう。
新潟の市民は、通りと小路を区別して使用している。初めはどう区別しているのかが判別できなかった。信濃川を基準にして考えると合理的だと納得した。小路は道幅が広くても「小路」なのだ。
泊まったホテルが避難ビルに指定されていた。50年前にはそこに警察署があった
大倉喜八郎が建てたホテルの二番目です
ホテルロビーに大倉喜七郎の解説が貼ってある
大倉喜八郎の年譜
津波ひなんビルの表示
古町花街
鍋茶屋通り
芸者街(遊廓ではない)
どこからか三味の音が聞こえてくる
鍋茶屋
鍋茶屋
鍋茶屋は有形登録文化財になっている
鍋茶屋の玄関
鍋茶屋の大門
古町通
鍋茶屋の蔵
鍋茶屋は一流料亭
ふるまち花街の提灯
デジャブとは既視感。フランス語
丸伊寿司
坂内小路
劇場跡地
東宝劇場跡地(今は駐車場に)
三業組合の社員の振袖(新米)。振舞いや踊り、三味線を習う。留袖(お姐さん)は芸で一人前
牡蠣料理の店
俳句が飾ってある
牡蠣料理店
三業組合事務所がある
見越の松
絵になる風景
三業組合事務所
芸者(留袖)さんの後ろ姿
鍋茶屋通りから本町通14番町に向かうことにする。新潟遊廓があったところだ。今はふつうの住宅地になっている。1軒だけそれらしき古そうな建物が残っている。
本町(ほんちょう)通に露店が出ていた
シャッター通りだが、個性ある街並み
自治会の掲示板
これが遊廓の建物(左側)
近在の鰻の寝床のような建物
奥がある建物
新潟は太平洋戦争の戦禍もなかった。原爆投下の候補地であったが、それまで大空襲の被害がなかった。戦争が継続されていたら、戦火が及んで歴史的建造物も灰燼に帰していただろう。新潟に残る建築物をこれから探偵していきたいと願っている。
【参考文献】
『古町花街たてものマップ』改訂五版(新潟まち遺産の会)
【アドバイス】五十嵐政人氏(鷲尾雨江の文学碑を建てる会事務局長、元新潟市中央公民館館長)からさまざまな援助をいただいた。感謝いたします。