『大阪賤娼誌』に導かれて

 新地巡りも大阪市港区を歩くことになった。今は住宅街に変貌して、過去の記憶をたどることはできない。住民の方に聞き取りをして、新地があり、周辺の商店街や飲食店、待合・旅館・料亭・スタンドバーは賑わっていたらしい。朝潮橋に市電の車庫や研修所があった。商店街や市場ができ、繁盛を迎える。20年前の商店街では人出があった。しかし、スーパーや量販店の進出で大きな打撃を受ける。朝潮橋の交通局の研修所は中百舌鳥に移転をしている。

f:id:higachanntan:20220519012017j:image地下鉄朝潮橋駅が出発地
f:id:higachanntan:20220519012239j:image駅前の地図と吉田地図(1968年)とを比較する
f:id:higachanntan:20220519012236j:image黒い線で囲まれているのが港新地(夕凪新地)と推定される

 

 『大阪賤娼誌』(1992年、三一書房)から引用する。大阪を代表するのは、天六・竹屋裏・釜ヶ崎の三つ。「短期間少数の散娼を見ることの出来た処は、大正年間以後丈けでも此花区上福島浄正橋通り東海道線踏切附近、西淀川区浦江、聖天社境内、港区西市岡町市岡パラダイス附近」を列挙している。

f:id:higachanntan:20220519020113j:image三津神社
f:id:higachanntan:20220519020110j:image元国際見本市会場の隣にあった。その後八幡屋交通公園ができ、現在地に移転した
f:id:higachanntan:20220519020116j:image現在地の隣に夕凪公園がある