なぜ長屋に惹かれるのかから始めたい。1950(昭和25)年に私は城東区鴫野東4丁目50番地に生まれた。地面は大金持ちのN氏が所有していた。両親は借間していた。1階は別の夫婦が住み、2階に両親が住んでいた。後に両親が長屋を所有して、借地料を毎月N氏に払いに行っていた。N氏はガソリンスタンドを経営していた。立派な石灯籠が見える邸宅であった。
長屋の前の道をカタカタ(遊具)を押している写真が残っている。長屋(鴫野)で生まれ、長屋(城東区新喜多
4丁目79番地)で育った。城東区で生活してきた。一時期、福島区大開団地に住んでいたことがあるが。生を受けたのが長屋であり、長屋の暮らしで知恵を育んだ。
千日前線野田阪神駅員に聞いたこと。2番線にエレベーターを設置するが、回送車のダイヤは変わらないことだ。うれしい情報だ。
野田阪神で焼肉料理を食べた。ピビンバ定食だった。税抜で980円と記憶する。
↑ピビンバ定食
元高島屋(現りそな銀行)のすぐ西隣の長屋の一角に昭和6(1934)年、「大阪無産者診療所」があったらしい。大阪無産者診療所(大阪市此花区茶園町96番地)のビラを法政大学大原社会問題研究所が蔵している。「市電野田阪神終点西入」ともある。三井住友銀行歌島橋支店=西野田支店の裏にあたる。現在の住居表示は福島区大開1丁目13番あたりにあたる。(『戦前大阪の無産者医療運動1』柏木功著、2024年10月)
↑野田阪神駅前
古民家を再生利用して、喫茶店を営業している。
↑珈琲店
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
田中邸が見えてくる。田中不動産を営んでおられる。この辺りに同姓のお宅があるが、縁戚関係はないらしい。
↑田中邸
↑同上
↑同上
↑同上
玉ニ三長屋を探していたが、地図がなく、別の長屋を見つけた。
↑長屋
↑同上(左端のお宅には野田恵比寿神社氏子総代と書かれていた)
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
マンションの玄関横に大きな石灯籠が建っている。
↑石灯籠
阪急オアシスの敷地内に中邸の碑が建つ。簡潔明瞭。土地に対する執念・執着が伝わってくる。
↑スーパーの敷地に建つ碑
↑同上
阪急オアシスとマンションの間にある道路に「歴史の散歩道」の道路表示がある。隣のマンションが旧・あさひ銀行だったのではないか。「極楽橋跡」の碑があるのではと推量している。ご教示をいただきたい。
↑同上
↑同上
↑同上
↑福島区の地図
地図を携えずにまち歩きをした。大海を海図なしに彷徨った一葉の木の葉舟のように感じる。再度、玉川を歩きたい。