滝井(千林)新地の聞き書き

 旧古市村の段蔵を調査した時に、ある喫茶店の主人から聞いたことがあった。遅い昼食を食べようと入店した。軽い気持ちで地域の歴史について聞くと、主人の口から興味深いことを聞くことができたのだ。以下は喫茶店主からの聞き書きである。

 

【千林商店街の近くに滝井新地がある。守口市滝井西町になる。夕方になると、眠った街が目を覚ます。コロナ禍以前の滝井新地はたいへん繁盛したそうだ。経営者は笑いが止まらないほど儲かったそうだ。

 滝井新地に勤める女性がたまに客として来店する。若くて、普通の格好の20代女性。ブランド品も付けていない。ジャージ姿のお客さん。一人ではなく、遣り手婆と一緒だ。遣り手婆と言っても40代だ。

 20代女性が春をひさいでいる。彼女には彼氏がいる。ヒモになるだろうか。朝、彼のために弁当を作って仕事に送り出す。千林商店街で買い物をする。そして、午後3時から新地の営業が始まる。職業に彼女はプライドを持っているらしい。女性の彼氏は、彼女が売春しているのを知っている。彼女は彼に尽くしているのだ。最近はあまり来店しないそうだ。】

 

 そんな浪花女性が現代にいるのだろうか。それも愛なのだろうか。現代的な愛情表現なのだろうか。そんな思いに囚われていた時に本棚に見つけたのが殿山泰司著の『日本女地図』だ。

 その本に大阪府の女性に触れている箇所がある。府出身有名女性に、山本富士子山田五十鈴京マチ子有馬稲子与謝野晶子・豊原路子をあげている。時代を感じさせる女性の顔ぶれである。「浪花女は、(中略)男の顔を見てもあまりニコニコしてくれない」「芯は情がこまやかで、ねばり強く、結婚すると夫に同化し、苦難をともにしてくれる」「男の陰になって、男を出世させる。そして男が出世しても、表面へしゃしゃり出ないで、じっといつまでも陰になっている」と浪花女の特長をあげている。昭和44(1969)年2月、カッパ・ブックスから出版されたもの。半世紀以上前の出版物だ。

 

守口市の千林新地に五十軒ほどの赤線が誕生したが風情はな」いと書かれている(『全国女性街ガイド』平成28年3月17日発行)。赤線とは、「売春が公認されている地域。売春防止法で廃止された」(広辞苑第七版)。1946年から1957年まで赤線は存在した。

 滝井新地の名は、これも近所の古老の口から出た。お金が入れば、滝井新地か橋本遊廓(八幡市)、飛田遊廓にも遊びに行ったと語った。

 京阪特急に乗って、千林駅を過ぎると「トルコ風呂」のネオンが見えた。暗闇にネオンが明るく輝いていた。なぜこんな場所にあるのかと単純な疑問を抱いた。高齢者になってそれは氷解した。

 その辺りが滝井新地だったのだ。トルコ風呂という語句は誤用である。現在はソープランドと呼ぶ。1984年から使用されている。「女性が接待する個室式特殊浴場」がその意味である。そのソープランドは今も残っているだろうか。

 滝井新地に浪花女が今も生きているのかを追究していきたい。