5月15日、遊び人二人で「裏鷺洲」を探すことになった。私に期待されていた役割は、他所者が鷺洲に新たな発見をすることにあった。浅学非才な拙者に役割を果たすことができただろうか。
国鉄環状線(現JR西)福島駅から歩みを始めた。福島聖天通商店街を通る。「売れても占い商店街」で夙に有名である。浦江聖天の参詣道である。大和田街道・梅田街道の碑が建つ。この道には柱に防犯(監視)カメラが商店街によって設置されている。昨年、曽根崎新地のビルで放火事件があった。その容疑者が姫島の自宅から自転車に乗る姿が記録されていたらしい。電柱に「防犯カメラ作動中」と書かれているのが未来社会の姿を予想させている。
JR福島駅の北側の踏切。地下化工事によって踏切もなくなる
特急はるかの姿も見られなくなる
福島聖天通商店街
福島駅の南側。旧阪神電鉄本線跡
如意山了徳院(浦江聖天)の山門を入る。有名な芭蕉句碑「杜若塚(かきつばたづか)」を拝観し、都会のオアシスに汗も引いた。京都の有名神社仏閣のような風情にまち歩きの楽しさに浸る。
大和田街道・梅田街道の碑
防犯カメラ探しも一興です
防犯カメラが設置されている
浦江聖天の新たな魅力
新しい借景
かきつばたに植え替える予定
芭蕉翁の姿を浮かべた
巾着(きんちゃく)
違い大根
昔から庶民信仰が盛んで、株の相場師・遊女・商売人たちが足繁く参ったと言われる。水商売の仏様として知られる。境内の玉垣に曽根崎の芸妓の名がある。時間があれば探してみたいものだ。
「浦江のとげぬき稲荷」がある妙壽寺は禅寺である。檀信徒共同墓壇の香炉に「蓮泉」の文字が彫ってある。蓮の生えていた池があったのであろうか。浦江の毘沙門天として知られている。
鷺洲4丁目の東海道本線のガードを潜ると北区(旧大淀区)に入る。『大阪の戦争遺跡ガイドブック』(戦争体験を記録する会、1987年)によれば、鷺洲5丁目7番地(鷺洲公園北東)に「1945(昭和20)年6月7日の空襲による弾痕が、ガード下のコンクリート壁面に残っている」「大きいものは直径15㎝、深さが5㎝」とある。グラマン機の機銃掃射で、8人ぐらいの人が倒れたという。
鷺洲4丁目の機銃掃射の弾痕
同上
同上
浦江八坂神社に詣でる。スサノオノミコトを祀る。古地図では牛頭天王社。明治になって廃仏毀釈後に八坂神社になったと思われる。境内に王仁社があるが、かつて大仁(北区大淀中)に王仁氏の墓があったと伝わっている。
浦江公園には親子連れで賑わっていた。また、庭球場で球の音が響いていた。近くにはかつて朝日放送の社屋や大阪タワー、ホテルプラザがあった。今はないが、阪急バスの西川行きで通勤していたのを思い出す。大阪タワー1階の日産ギャラリーでラジオ番組が放送されていた。「サテライトスタジオ」という言葉が新鮮であった。シンフォニーホール(残響2秒を誇る)が残るのみである。
浦江公園で気になったことがある。樹木が幹の真ん中から切断されていた。大阪市内で街路樹が切られている。しかも真ん中から切断し、それから順に切っていくのだ。樹木の悲鳴が聞こえてくる。切断面に防腐剤が塗られているか。切り方が残酷だけではない。切断されてた木々がずっと続く様を浮かべていただきい。大阪市建設局の方針であろうか。
大阪駅の北側に梅田貨物駅があったのを覚えておられるか。そこに大坂七墓の一つである梅田墓があった。うめきた2期工事で梅田墓も巨大建築物の下になる。安らかに眠っていた佛たちは何処に行かれたのか。
うめきた2期工事の概要
同上
同上
梅田墓
福島駅〜浦江聖天〜妙壽寺〜浦江公園〜梅田墓
鷺洲の長屋街を拝見した。旧西成郡の長屋にこころ魅かれるものがあり、価値ある家屋群の保存政策の策定を望みたい。
長屋街(長屋群)で魅力的な家屋を列挙する。
旧川崎貯蓄銀行
長屋
個性的な建物
破却されるのは惜しい
阪神百貨店配送センターの隣の家
外見を残して、レストランを営業している
同上
福島区に親戚がいる。そこも長屋街である。今ではマンションがどんどん建っている。地価が安く、不動産屋が買い漁っているらしい。ワンルームマンションよりも所帯向けマンションの方がメリットが大きいと思っている。ましてや超高層マンションは願い下げである。マンションは管理を買う物件である。長期的に眺めれば、どんな住まいが地域社会に相応しいか。答えは地域住民が決めていくものと考える。「裏鷺洲」にどんどん体が沈んでいく夢を見ている。
【参考文献】大阪あそ歩「おしてるや咲くやこの花 浦江・聖天」