港新地(夕凪新地ともいう)の調査は、土地の古老(86歳)から聞いたことに始まる。
19歳の時の思い出だった。はじめてのまぐわいは滝井新地だった。二度目の女性との交合であった。丸窓の奥に娼婦たちが見えた。遣手婆が声をかけてきた。先輩に連れられて来たのだ。「いい妓がいるよ」の声につられて上がった。30歳くらいの娼婦だった。
名前は「よっちゃん」だった。何度も通ううちに仲が良くなった。そして、夕凪橋の彼女の家に通った。夕凪新地の近くであった。家で彼女の手作りの料理を味わった。家では体の交わりは一切なかった。夕凪橋のホテル(今はない)で彼女との逢瀬を楽しんだ。逢瀬はその後も続いた。
かつては、待合・料亭・旅館・スタンドバーの表示が吉田住宅地図(1968年)に載っている。今は転業したり、新しい住宅に変わったりしている。
かつての商店街(夕凪一二会)
今は新地の建物はない
住宅街
同上
同上
待合の跡(モータープール)
近くにある寺院
旅館
弁天町駅に戻ろうと港夕凪商店会の通りを歩く。朝潮橋駅に市電の港車庫があった。そこから東に直線で商店街が続いている。みなと通り(市電の走っていた道)の一本北にある。
港夕凪商店会
電柱に旧住宅表示
「たこ安」。冬はてっちり、夏はハモが有名です
朝潮橋駅方向を見る
元築港電話局(NTT)の建物
元幸運橋市場。今はスーパーに変わっている
弁天町駅方面を見る
旧一岡ビル。説明板や遺構の一部を持っている方がいるらしい
旧大阪市立市岡商業高校の碑
文化住宅の敷地。敷かれている石はどこから来たか
元オリックス市岡自動車教習所
ここが市岡パラダイスだった
桂町の表示
磯路の桜通り
同上
市岡パラダイスがあった
桜も老化して、根が四方に伸びている
みなと通りから2mの標高差があるらしい。かつての盛り土で高いのだ
市岡パラダイスの開園は1925(大正14)年である。市岡土地株式会社の経営する遊園地。活動写真の劇場、飛行塔、スケートリンク、農園、小鳥園、千人風呂の大浴槽などがあった。市岡パラダイスの進出で付近は発展する。商店、映画館、市場などが建てられた。夕凪橋筋はパラダイス通りと呼ばれ、商店街として栄えた。
港区も庶民的な街だ。私の好きな地域に入れておこうとする。
【参考文献】『都市絵はがきI なにわの新名所』(橋爪紳也著、東方出版)
『港区誌』(港区役所、昭和31年)