旭区千林商店街に今日も足を運んだ。国道1号線を市バスに乗って、千林停留所で降りた。
↑千林商店街
今日は商店街がお休みで、ひっそりしていた。商店街から外れて、エール館(旧千林公設市場)に向かった。なぜか。「旭区再発見まち歩きマップ」(平成23年3月)を見ると、「京阪電車路面時代の線路とホーム跡を見ることができ」るとある。エール館の責任者に訊くと「所有地にはないが、柵越しに見られる」と言われた。
↑千林商店街を奥に入ると
↑京阪電車路面時代の線路跡
↑同上
↑同上(山下文具の左横を京阪電車が走っていた)
千林商店街から北に行くと、エール館(旧森小路公設市場)がある。建物は大阪市経済戦略局の管理下にある。
↑エール館
↑同上
↑同上(駐輪場か)
↑京阪電車の線路跡?
↑京阪電車の線路跡?
京阪電車千林駅を過ぎて、ガードが現れる。野崎街道が京阪電車の高架と交わっている。野崎街道は、江戸から明治末期まで野崎観音に参詣する人で賑わった。
↑野崎ガード
↑同上
千林1丁目から清水に入る。野崎街道を歩く。狭い道をクルマが行く。八幡大神宮に向けて歩く。大きな邸宅の北西に蔵がある。
↑蔵
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
清滝温泉の煙突から煙が上がっていた。木を燃やしている。銭湯も少なくなっている。これも貴重だ。
↑銭湯
八幡大神宮の南に「本瓦の長屋」が見られる。瓦の歴史は588年の瓦博士渡来に始まると言われている。本瓦の長屋は傷んではいるが、立派な姿を見せてくれる。旭区清水3丁目に現存する。
↑本瓦の長屋
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
長屋と銭湯は大阪の庶民にとって懐かしいものだ。東京のお人には古くて時代遅れのように感じるだろう。大阪人にとっては、生活に直結したもの。江戸期以来長い歴史で進化形である。今も長屋や銭湯が破壊される音が響いている。