西成区の鶴見橋商店街は、東は萩ノ茶屋商店街から続いている。国道26号を超えると、十三間堀川(埋められている)を越えても続いている。そして津守商店街に名を変える。南海高野線津守駅が最寄駅だ。
↑地下鉄花園町駅
↑同上
↑同上
↑同上
↑鶴見橋商店街の東入口
↑この辺りはスーパーもあり賑やかだ
↑同上
↑海抜1.1メートル
↑なにわ筋の交差点には鶴を模った信号機
↑同上
↑同上
津守駅の西側に津守新田が広がっていた。明治42(1909)年に大日本紡績(現ユニチカ) 津守工場が創業して、商店街は工場労働者の通勤路や社交場になる。戦前、天神橋、心斎橋と並ぶほど賑わったらしい。今はスーパーマーケット、介護施設、医院が並んでいる。
大日本紡績津守工場は、レンガ造り平屋建てであった。最盛期には4000人以上の女工や職工が働いていた。場内には社宅や小学校まであった。太平洋戦争の空襲で全焼した。昭和27(1952)年に撤去された。売却されて、津守下水処理場の増設地と貯水池になる。残りは西成公園と西成高校になっている。
↑スーパー玉出
↑鈴成座(有名な大衆演劇場)
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑鈴成座近くの地蔵
↑同上
↑同上
↑長屋(きれいに掃除が行き届いている)
目的地は大阪市立社会福祉研修情報センター。「釜ヶ崎の赤ひげ先生」こと本田良寛医師についての講演であった。鶴見橋商店街から歩いて、なにわ筋を北上したのだ。
↑大きな更地(元市民交流センターにしなり)が現れた
↑建設工事が始まっている
↑大きな家電スーパーが建つのか
↑奥の建物が大阪市立社会福祉研修情報センター
↑鶴見橋商店街
↑花園町駅近くの地蔵
↑同上
【参考文献】
『西成観光マップ』(西成区役所)
『Osaka Metro まちさんぽ・四つ橋線花園町駅』
『にしなり区 おでかけナビ』(西成区地域福祉アクションプラン推進委員会ほか、平成25年6月発行)
『津守回顧』(池田幹夫、平成3年3月)