昭和44(1969)年から4年間、京橋駅から三条京阪まで京阪特急で通学していた。まだ地下化になる以前だ。七条から鴨川の東側を電車が走っていた。鴨川が見える座席に座るのが好きだった。五条駅は通過駅だったが、鴨川の向こう(右岸)に「五条楽園」と書かれた看板が見えた。夜になるとネオン(?)が光っていた。後日、同級生に聞くと、花街だと教えてくれた。近くの「枳穀邸」(東本願寺別邸)を訪れたことがあるが、そのすぐ近くにあったとは知らなんだ。
↑丸福楼(旧山内任天堂本社社屋、1930年建設、2022年改修)
↑同上。大建築家の安藤忠雄の監修により改修
↑同上
↑同上
↑同上(任天路地)
↑お茶屋建築の並ぶゾーン
↑同上
↑同上
↑同上
↑サウナの梅湯(建設年不詳)。明治時代創業の銭湯が2015年にリニューアルオープン
↑同上
↑高瀬川再生プロジェクトの工事が進行中、9月に完成か
↑菊浜学区のハザード・マップ
↑高瀬川に架かる橋
↑歌舞練場小路
↑「料理旅館 鶴清」の看板
↑南橋詰橋
↑同上
↑同上
↑旧五条楽園の入口
↑同上
↑お茶屋建築。明治後期か大正時代の建物
↑同上
↑お茶屋建築。明治時代の建物
↑同上
↑同上
↑同上
↑仁丹の住居表示
↑置き屋
↑遊郭の名残りを残す家
↑同上
↑同上
↑同上
↑五条会館(旧五条楽園歌舞練場、1915年建設、大規模な木造三階建)
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上(1階に管理事務所と応接座敷、2階3階に大広間や歌舞の練習場がある。無柱の大空間を支えるため、部分的に鉄骨を使用している)
↑歌舞練場小路
↑開化堂(明治8年創業、手作り茶筒の老舗)
↑お茶屋建築の家
↑高瀬川再生プロジェクト
↑お茶屋建築が残る地域
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
戦後に出た『全女性街ガイド』(渡辺寛著、カストリ出版刊、平成26年初版)を見ると、「七条新地」にそれらしい記述がある。「通称は橋下といい、五条大橋から七条までの西側の川沿い。百六十八軒に七百五十名の女たちがいる。京都的というより全国赤線的なシマで粒は不揃いだが、遊ぶには活気があっていい」とある。今は女性街はなくなり、住宅地となっている。↑五条大橋
菊浜にはおおぜいのお地蔵さんがいてはると聞いた。今後の調査の課題にしておこう。
【参考文献】
『菊浜マップ2022』(企画・制作:京都大学柳沢研究室、2022年3月発行)