昭和35(1960)年吉田地図に「旭区中宮町4丁目31」に「日用品 安藤」と印字されている。また、『別冊太陽 安藤忠雄』の130頁に小さい頃の写真が載っている。
昭和16(1941)年9月13日、大阪市港区で、母朝子の双子の兄として生まれ、祖父母の安藤彦一、キクエ夫妻の養子になった。祖父母は天保山近くの築港で、陸軍に食糧を納入する商売をしていた。
昭和20(1945)年三月から大阪大空襲が始まる。第六次大阪大空襲で陸軍施設のある築港は焼かれて、安藤家は全てを失った。敗戦後、旭区に住むことになる。
↑長屋の左側が安藤忠雄の40年間住んだ家
↑同上(左にあった長屋の一軒はない)
↑同上(二階を増築した)
大阪市立城北小学校に入学した年の秋、祖父彦一が亡くなる。祖母は日用品を商う商売を始め、二人の生計を支えた。大阪市立大宮中学校の二年生の時、自宅に二階を増築することになった。進学をせず、大工の見習いになるのを祖母に伝えると、祖母に「高校だけは出ておけ」と言われ、しぶしぶ大阪府立城東工業高校に進学する。
国道1号線に面した旭郵便局前から市バスで旭警察署前停留所まで乗る。旭あったかバスは1時間に一本なので、利用できなかった。かつてあった赤バスが旭区ではコミュニティバスが運行されている。区役所と事業者、地域の協力で成り立っている。
↑旭あったかバス (敬老パスを持つ高齢者は無料)
↑同上
↑大阪市バス森小路バス停の時刻表
↑同上
↑付近の地図
↑長屋
↑同上
↑中宮2丁目のお地蔵さん
↑同上
榎並十四日講の寺の一つ。重誓寺の本堂に上がらせていただく。金剛組が施工した、立派な本堂だ。大阪大空襲で銀杏の大木だけを残して全焼したそうだ。鐘楼の跡に藤棚ができている。梵鐘も昭和19(1944)に金属供出されたままになっている。
↑浄土真宗本願寺派重誓寺
↑同上
↑旭通り商店街
↑お地蔵さん
↑旭通り商店街
↑大宮神社
↑同上
↑付近の地図
↑同上
↑商店街に面した長屋
商店街の奥に廃屋を見つけた。廃屋を回って撮影したが、この建物も運命は決まっているのだろう。惜しいことだ。
↑廃屋
↑同上
↑同上
↑同上
商店街を国道1号線に向かって歩く。人通りも増えてくる。瀬戸ものを商う商店主が大きく欠伸をしていた。銭湯があったり、郵便局があったりする。喫茶店や和菓子店があって、地域に潤いを与えている。
↑千林大宮商店街
↑銭湯の煙突から煙が上がっている
↑銭湯(神徳温泉)
↑同上
↑和菓子屋
喫茶店
長屋の多い旭区でも、地域には戦争の爪痕が残っている。戦争の記憶を大切にしていきたい。
【参考文献】
『重誓寺写真集』(平成15年4月発行、非売品)
『伝豊国大明神坐像 他 御神像群 特別公開』(令和5年8月、大宮神社発行)