地下鉄四つ橋線岸里駅で下車して、西成区役所に向かう。『西成観光マップ』をいただいた。
↑南海高野線のガード
↑同上
↑西成千本北郵便局の近くの中央通寿会商店街
↑同上
↑同上
↑南海高野線のガード
銀座商店街には「ふたりっ子の記念碑」があるが、探したが分からなかった。平成8年〜9年に放送されたNHK連続テレビ小説のロケ地になった。その記念碑である。
↑銀座商店街
↑人通りが少ない
↑同上
↑危機感を感じる
南海高野線西天下茶屋駅(橘3-3-23)は、大正4年開業の駅。昭和50年頃までは、線路沿いの工場の労働者が利用し、1日の乗降客数が4000人ほどあったという。
十三間堀川に向かって西に歩く。「共和」という工場が見え、その向こうに阪神高速道路堺線が見える。昨年、共和は創立100周年を祝ったそうだ。
↑ゴムバンドのトップメーカー「共和」本社(西成区千本)
↑同上
↑旧十三間堀川(阪神高速道路堺線)
津守神社は、津守新田開発の時に勧請された。西成区津守3-4-1。
↑宝橋交差点
↑津守神社の玉垣(白山殖産の名が見える。津守新田の白山家)
↑同上(白山家当主の名が刻まれている)
↑白山家の船場の本宅にあった「お化け灯籠」
↑白山殖産が最初に出ている
↑津守神社
↑白山宣太郎の名が入る玉垣
↑白山殖産の名が刻まれている
↑提灯にも白山殖産の名が見える
↑鳥居
↑同上
↑同上
津守神社の向かいに白山家の会所があった。そのあとに津守小学校(平成27年に閉校)ができた。大阪市顕彰史跡になっている。白山家別邸の庭園は大坂の代表的名園であった。
↑津守新田会所跡の碑
↑もと津守小学校(ふれあい喫茶の時には開けているみたい)
南海高野線津守駅のすぐ西側に大阪府立西成高校、西成公園、下水処理場が見える。かつてここには大日本紡績(旧ニチボー)津守工場があった。
↑津守商店街
↑同上
↑津守商店街を西に行くと、大阪府立西成高校がある。
↑創立50周年になるのか
↑海抜0.9メートルの表示
↑あべのハルカスが見える
↑津守駅の踏切
↑津守商店街
大阪市電三宝線は、なんばから住之江公園までバスが走っている。以南は住之江公園から堺駅西口行き(三宝停留所経由)が走っている。
住之江公園行きのバスは、1〜2本/時間で運行本数が少ない。大阪市電が走っていたことを乗客の一人に言うと、「ああ、それで三宝線て言うねんな」と納得された。
↑大阪市電三宝線の高架橋
↑今は道路に転用している
↑大阪市電三宝線の高架橋
↑大阪市電三宝線と南海高野線が交差している
↑大阪市電三宝線跡
↑上が大阪市電三宝線、下が南海高野線
↑南海高野線
↑大阪市電三宝線が道路になったが、市バスやトラックは高架橋を通行できない
↑大阪市電三宝線
↑同上
↑津守商店街
↑同上
↑同上
↑鶴見橋商店街
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
かつて鶴見橋商店街は日本で二番目に長い商店街と呼ばれた。天神橋筋商店街が最長である。
商店街の歴史は、明治42(1909)年に大日本紡績(現ユニチカ)の津守工場が生まれたことに始まる。工場の東に流れる十三間堀川に橋が架けられる。鶴見橋という橋。
通勤路線として大阪市電や南海高野線が開通して交通に至便な所になる。昭和4(1929) 年に商店街の原型が誕生したといわれる。そして、大阪大空襲によって工場が消失した。大阪市電三宝線が廃止されると商店街の賑わいが消えてしまった。
【参考文献】
『にしなり観光マップ』(西成区役所)
『座談会 津守を語る会の記録』(西成区役所、平成4年3月)
『note 林裕之』を2024年2月27日閲覧(日本で二番目に長いと数えられた商店街を歩いた)