旧三洋電気本社の市役所を南下して、文禄堤を歩けた。
本門佛立宗「義天寺」の山門がみえてくる。
その左側に野江刑場にあった題目石がある。その石は写真で
見ていたが、想像以上に大きかった。表面が赤いので、寺の方に
聴くと、血の跡だと教えてくださった。急に背筋が寒くなった。
裏面に「大正十一年五月十七日再建」と彫られている。
岡田〇〇以下、榎並の有力者の名前が並んでいる。もう一度見て、
名前を確定したい。
東京美術刊の『東海道分間延絵図』第二十四巻(枚方 守口 大坂)
に、野江の仕置場が図示されている