『一粒の種』を読んで

 高田鑛造著『一粒の種』を手にした。1991年6月1日発行。大阪労働運動史研究会が編集したものだ。

 久保在久氏が高田鑛造氏から口述筆記した。発行当時、高田氏は87歳であった。久保氏は『大阪砲兵工廠物語』や『大阪砲兵工廠年表』を最近出版されている。

 高田氏は1904(明治37)年8月16日名古屋市で出生した。1909(明治42)年に両親とともに大阪に移転。父は南区日本橋(阪町)に小西時計店支店を開業する。店の近くには「大丸呉服店(大丸の前身)」があった。

 西に行くと、法善寺横丁、千日前の竹林寺があった。竹林寺の境内に「胸透かし」という鉱泉で作った清涼飲料水を売っていたと書いている。炭酸水ではなかったらしい。「OSプラザ」(今はパチンコ屋になっている)はかつて映画館「スバル座」があった。『風と共に去りぬ』を見たことがある。

 「OSプラザ」は空き地で、犬芝居や猿芝居をしていたと記す。本物の犬や猿を使う芝居。見てみたかったなあ。弁天座、朝日座、角座、中座、浪花座があった。今はもうない名前ばかりだ。ビル名では残っているが。

 1912(明治45)年4月精華小学校に入学する。転々として、1914(大正3)年大阪府東成郡鯰江町蒲生490に移る。そして鯰江小学校に転校した。ここで城東区につながってくる。