野江水神社の石碑を調査に行く。太平洋戦争の城東区の戦跡を調査する目的だ。地蔵盆の準備をされる地域の方々の熱意を見ながら、境内の「日支事変大東亜戦争慰霊塔」を撮影した。
隣に大阪市立榎並小学校がある。創立148年の伝統校だ。教頭先生のご案内で校庭を調査した。「野江橋」の親柱が残っていた。どこに架かっていた橋なのか。
榎並川(井路川)に架けた橋なのか
黒ずんでいる。戦火の影響か
のえはし
野江橋
榎並?何の石か
現在の校門は東側にあるが、かつては西側にあった。校門の前の道路にかつて、京阪電車が走っていた線路の跡だ。そこは「夜店通り」と呼ばれている。
野江3丁目の地図
野江三丁目の路地を入ると、都市計画がされてないので、道が入り組んでいる。道に迷う。浄土真宗大谷派来迎寺の甍が目につく。昭和八年の建築である。
「わかまつ園」の表示のある立派な家が見えてくる。O氏の邸宅である。低湿地の土地を安く買い漁ったので他人の土地を踏まなくても、生駒山まで行けるということばが残っている。
段蔵が二つ残っている。
【参考文献】『榎並と野江の歴史』(大森久治)