大谷本廟(西本願寺)に1月9日、お参りに行った。連れ合いの父母・祖父母の納骨堂に参拝するためだ。五条坂には清水焼の窯元が並んで、8月には「陶器祭り」が賑やかに開かれている。
五条坂は道路幅(国道一号線)がいまは広いが、太平洋戦争中に建物疎開で強制的に拡幅されたのだ。ここにも戦争の影が残っている。
↑京阪電車の清水五条駅から五条坂を見る(かつては商店街で買い物客で賑わっていた)
↑京都中央信用金庫内東五条支店(京都市東山区五条通大橋東入東橋詰町16)。大正13(1924)年に竣工されたビル。旧村井銀行五条支店。設計は吉武長一(建築パース.com「日本建築めぐり」を2026.2.2に閲覧)
旧村井銀行が破産後、昭和銀行(現在のみずほ銀行)に併合される。のち、四条河原町に移転した。50年前から現在の金融機関が営業している。
↑五条坂近辺の地図
↑五条坂の道路標識
↑うなぎの寝床みたいなお家
↑路地の入り口
↑歴史的意匠建造物
↑同上。売物件になっている
↑歴史的意匠建造物
↑同上
↑歴史的意匠建造物
↑同上
↑ここもうなぎの寝床みたいな民家
若宮八幡宮社の社前に「清水焼発祥之地」の碑が建っている。そして、「陶器祭」が盛大に行われていたのを覚えている。露店ができて、たくさんの客で賑わっていた。コロナ禍で2020年から祭りが開かれず、2024年に祭りが復活。昨年も祭りが開かれたという。
↑若宮八幡宮社
↑同上
↑同上
↑同上
五条坂にはかつて多くの窯元が並んでいた。最近は「着物ハウス」やホテルが進出している。外国人観光客で賑わう京都だが、彼らは京都の街並みに魅力を感じて京都に来ているのだろう。しかし、彼らが見ている京都はかつてのしっとりとした京都ではない。どんどん商業化していく京都の街並みに魅力を感じて足を運んでくれるだろうか。
↑マンション建設の看板(施主が外国人か)
↑同上
↑営業中の清水焼の窯元
↑藤平陶芸
↑陶器製の手榴弾
↑同上(立命館大学平和ミュージアムに展示されている)
↑同上
太平洋戦争中に清水焼の窯元は、陶器製の手榴弾を作った。実戦に使われた。その手榴弾がかつてある窯元から発見されたのを新聞が報道していた。藤平陶芸が太平洋戦争中に陶製の手榴弾を作っていたのがブログ「そうだ、京都へ行こう」に掲載されている。https://souda-kyoto.jp/blog/00273.html
↑この歩道原則自転車走行禁止!
東大路と五条坂の交差点を渡る。大谷本廟が見えてくる。周辺は雑踏でごった返しているが、境内は静寂そのものである。
↑大谷本廟
↑同上
↑めがね橋
↑大谷本廟
↑同上。親鸞上人像
↑大谷本廟(総門)
↑同上
↑第一無量寿堂(納骨堂)
↑同上
↑同上
↑大谷墓地案内図(QRコードを読み取ると、マップがダウンロードできる)
大谷本廟の北門から出て、少し東に歩く。「肉弾三勇士之墓」が左に見えてくる。墓の由来が書かれているが、判然としない。
↑肉弾三勇士之墓
↑同上
↑同上
↑大谷墓地案内図
↑大谷墓地から国道一号線を見る
大谷墓地案内図を手に大きな墓園を巡る。
麻生家の大きな墓が聳えている。「筑前国嘉穂郡飯塚町立岩(現在の福岡県飯塚市)」と読める。麻生太吉と彫ってある。太吉は炭鉱主で、麻生太郎元総理大臣の曽祖父に当たる。1857年生まれで、1933年死去。孫が太賀吉(1911〜1980)で、曽孫が太郎(1940〜)になる。家系図を以下に誌す(Wikipediaから引用した)。
┏太吉━┳━太右衛門
┃ ┣━鶴十郎
┃ ┣━太郎━┳太賀吉━━太郎
┃ ┃ ┗典太━━誠
┃ ┣━太七郎━━三郎
┃ ┣━ヨネ
┃ ┃ ┣━━┳義太賀
太右衛門━賀郎━┫ ┃麻生義之助┗太介
┃ ┗━ふよ
┃ ┣━━┳忠二
┃ 麻生五郎┗欣次郎
┃
┃
┗太七━━花
┣━┳太喜蔵
麻生太三郎┣吉郎
┣純三
┗静四郎
↑麻生家之墓
しばらく歩いて、飯田家の墓で右折していくと右に司馬遼太郎の墓が見えてくる。南谷1段中部264-1号地がお墓の住所になる。あくまでお参りにいく方への情報で、興味本位で行かれるのはお断りする。
↑司馬遼太郎の墓(福田定一、福田みどり)
↑同上
↑同上
↑大谷墓地から西方を眺める(愛宕山が遠くに見える)
↑五条坂へ下る
大谷本廟参拝の収穫は多かった。連れ合いの父母の納骨墓参拝、肉弾三勇士之墓参拝、司馬遼太郎之墓参拝が叶った。平安時代に鳥葬や風葬の地であった鳥部野にある多くの墓標を拝んで、澄み切った心でブログの記事を書いて、筆を擱く。
【追記】
大同生命につながる「加島屋本家」の、廣岡久右衛門正直の墓標の住所が判明した。大谷本廟の墓地の第五区193号地にある。2月2日に参拝にした。立派な墓標である。
↑廣岡家の略系図
↑加島屋本家の墓
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑清水寺が見えている