鞍馬天狗のおじさんといえば、時代劇ファンなら往年の大スター「嵐寛寿郎」を思い起こすだろう。晩年も映画に出ていた。尾上松之助、大河内傳次郎、阪東妻三郎、長谷川一夫、片岡千恵蔵、市川右太衛門などの名を想起する。
京都市学校歴史博物館から四条通に出る途中に視界に入ったのが、浄土宗「聖光寺」だ。京都市下京区寺町仏光寺にある。ご住持に墓地に案内していただいた。山門にある運輸会社の経営者が建立した碑がある。
天野屋利兵衛と言われる人物の墓がある。天野屋利兵衛は複数いたと言われる。安田善右衛門好時(?〜1708)は綿屋善右衛門という。室町二条の呉服屋であった。出身は赤穂で、赤穂藩の出入り商人だった。大石良雄以下四十七士と昵懇であった。大金を貸し与えていたと言われる。
天野屋利兵衛の坐像もあるそうだ。「仮名手本忠臣蔵」の初演が寛延元(1748)年だった。討ち入り(1703年)があってから45年が経過していた。また、綿屋善右衛門好時の死後40年であった。
天野屋利兵衛を綿屋善右衛門好時とするのは諸説の一つとした方がいいかもしれない。
↑浄土宗「聖光寺」の山門
↑天野屋利兵衛の碑
↑同上
↑綿屋善右衛門好時の墓
↑大石良雄の実母の墓
↑同上
↑綿屋善右衛門好時の墓
↑同上
天野屋利兵衛の墓所は、聖光寺の前住持と運輸会社の社長による合作と言ってもいいだろう。ロマンの世界に遊んでもいいだろう。(参考文献:『聖光寺のしおり-義士伝と謡曲に因んで-』(小林忍戒著、昭和58年、聖光寺刊)
↑嵐寛寿郎(1903〜1980)の墓
↑同上
↑同上
実在した嵐寛寿郎(アラカン)の墓が「天野屋利兵衛」の墓に隣接している。ご住持に教えていただいた。五回結婚した艶福家である。別れた妻に財産をすべて渡したと言われる。後援会員が今も墓に参拝しに来るそうだ。
従姉妹が女優の森光子である。彼女の墓は、京都市上京区寺町今出川の阿弥陀寺である。(参考文献:『鞍馬天狗のおじさんは』竹中労著、ちくま文庫)