映画「めし」を観ていて、ある場面(近所の住人が息子の就職祈念に「大物の残念さんにお参りに行きまんねん」と語る)に惹きつけられた。「めし」は林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の東宝作品。上原謙、原節子主演の映画。1951(昭和26)年作品だが、ロケ地になった長屋が今も残っているらしい。住所が阿倍野区天神ノ森2丁目62(天神ノ森2丁目6-5)あたりらしい。
「大物の残念さん」に戻す。幕末から大坂の人からも信仰されたらしい。駅近の介護施設に働く女性に聞くと、「残念さん」の場所を教えてくれた。参詣するかどうかは別にして、有名なのだ。願い事を一つ叶えるありがたい残念さんなのだ。今でも受験合格のために行く人がいるそうだ。
阪神本線大物駅で下車した。大物駅の北東、大物公園に面している。杭瀬冠頭中会が管理して、ボランティアの女性が仏花や樒、お守り(300円)を売っている。女性の話では「残念さん」の墓が他にもあると言っていた。
↑稲川橋の交差点に標識が立つ
↑大物公園を横切れば近いが、工事中で通れない
↑稲川橋
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑「残念さん」のお墓
↑同上
↑「残念さん」の説明板
↑杭瀬東墓地
↑墓地の入り口
↑同上
残念さんの墓は、尼崎市杭瀬南新町4丁目9-13の杭瀬東墓地内にある。尼崎市のHP(尼崎の文化財)によると、長州藩士山本文之助の墓である。
文之助(当時29歳)は元治元(1864)年の「禁門の変」に従軍する。長州藩が敗北し、京都からの敗走途中に大物の城下町北の口門で尼崎藩に捕らえられ、取調べ中に自決した。
文之助が自害した様子は様々である。①割腹した、②喉を突いた、③会所内で「残念、残念」と言って切腹をした、④知らない民家の厩に入り「嗚呼残念」と大声を上げ、猛然と自刃したと諸説がある。「残念さん」に至る坂や道を「残念坂」「残念道」と呼ばれた。
「扇屋真助日誌」には、文之助が「一つの願丈は叶にてやろう」という書き置きを遺して切腹したと書かれているそうだ。
一介の武士と「残念」が結びつき、さらに一つの願いを叶えるという願掛けの神様になるという説(岡本真生)には大いにうなずく。
↑「残念さん」の御守り
↑同上
尼崎藩の建てた墓には、当時の「長州びいき」の流行から大坂からの参詣人が押し寄せ、やがて死に際に「残念、残念」と叫んだというので、「残念さん」と呼ばれるようになった。「残念さん」が願掛けの神様になるのは諸説がある。
現在の墓は、長州藩と取引のあった尼崎の醤油製造業の油屋喜平(長尾家)の世話で建てられたという。
足軽の子の文之助が神になる過程は、いろいろな目論見があった結果だと考える。長州藩の政治的立場を強化する説、幕末の混乱状況下で庶民の救済願望の吐け口(流行り神)説などが浮かんでくる。
【参考文献】
尼崎市立歴史博物館のHP「尼崎の文化財」(2025年9月2日に閲覧)
『尼崎百物語』(大江篤編、神戸新聞総合印刷刊、2016年)