なんばの大阪球場跡を1月13日に訪れた。大阪球場は閉鎖後もグラウンドで住宅博などが開かれていた。また、日本ユースホステル協会大阪事務所が入っていた。野球の試合を見たことがないが、スタンドが急傾斜だったのは覚えている。
高島屋デパート、スイスホテル南海を通過して、なんばパークス(大阪球場跡)に向かった。迷わずに行けたおススメコースだ。
↑地下鉄なんば駅の5番出口
↑スイスホテル南海の入り口
↑強風が吹き荒れていた
↑エスカレーターで行く
↑なんばパークスまで運んでくれる
↑夜はイルミネーションで飾られるのか
↑満員の大阪球場。『もっと知りたい、歩きたい 浪速区100年ものがたり』(大阪市浪速区役所発行、令和7年7月)より転載
↑なんばパークス9階に南海ホークス記念館がある
↑9階に階段で行くのはしんどい
↑大阪球場メモリアルプレート
↑ホームベース
↑同上
↑同上
↑ピッチャー・マウンド
↑同上
↑3階からエレベーターで8階へ
↑8階からの眺望
↑8階の地図
↑9階
9階に「南海ホークス・メモリアルギャラリー」がある。鶴岡一人と野村克也がメインになっている。私には悲劇の監督ー陰山和夫の名が大写しになる。西淀川区福出身で、鶴岡監督の後に監督に就任した。一週間後、病で急死した。福の共同墓地に祀られている。大阪府立市岡高校の卒業生でもある。
↑南海ホークス・メモリアル・ギャラリー
↑館内
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上(西淀川区福出身の陰山和夫の名がある)
↑同上
↑同上
なんばパークスから外に出る。
↑なんばパークスを出る
↑なんば駅方面を見る
↑家電スーパー
↑なんば駅方面を望む
↑バスの停留所
↑同上
クボタの本社の移転後の敷地の再開発が噂されている。久保田権四郎の名は浪速区の歴史にはよく出てくる。
↑久保田鉄工株式会社(クボタ)のビル
↑同上
↑浪速区役所
↑同上
↑阪神高速道路1号環状線
昼食を食べるのを忘れていた。お決まりの「餃子の王将」で空腹を満たした。スタッフが日本人でないのに気がついた。日本人の生活を支えている彼らの存在の重要性に改めて驚いた。
↑昼食
難波元町から高島屋まで歩くことにした。なんばの大阪府立体育会館(命名権を買われて、エディオン・アリーナ大阪)の前を通る。
↑大阪では「にっぽんばし」ですぞ
↑大阪府立体育会館(休館中)
↑同上(エディオン・アリーナ大阪)
↑同上
↑なんばパークスを望む
↑なんばCITYの入り口
↑高島屋デパート
↑国道25号線が歩道になっていた(ここでは集会や署名活動ができない)
↑広告塔がひしめいている
今は東宝シネマズなんばとなっているが、旧南街会館は小林一三の碑文からわかるように、日本初の映画興行発祥の地である。しかし、この碑文に気がつく人は少ない。
↑旧南街会館内の碑文
↑東宝シネマズなんば(別館)
↑同上(本館)
↑大阪市南北線
↑鳩は自由に歩ける
↑旧南街会館
↑女神像
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑平和の像
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
令和7(2025)年は、浪速区制100周年の記念すべき年である。浪速区は外国人が多く居住する区である。また町会加入率が低い区でもある。
インバウンドでミナミは外国人のことばが氾濫している。観光産業は潤っているだろうが、居住する区民(定住人口)には住みやすいのだろうか。突然に夜間にスーツケースをゴロゴロと引っ張って、民泊に入ってくる外国人観光客(交流人口)。ゴミの出し方も守らない観光客。一時の観光客はお断りだ。「関連人口」とは、定住人口と交流人口の間にあって、観光地に関心を持って観光以後も長い付き合いをする人たちだ。
観光客増のために「特区民泊」を増やすことに傾注してきた大阪市。関連人口を増やす政策をしないと、大阪市はホップ・ステップ・ジャンプで奈落の底に沈むであろう。