京都国立博物館からすぐ西側に「耳塚」がある。朝鮮出兵の時に、豊臣方の武将たちが手柄を具体的に証明するため、朝鮮人の耳や鼻を切断して、樽に詰めた。塩漬けゆえ腐敗をしなかった。犠牲者の肉体の一部が埋められて、巨大な塚になった。年に一度、慰霊祭があると聞く。
七条通から北上した。路地があり、吸い込まれるように入った。入ると、異空間が広がっていた。
↑路地
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑町会の掲示板
↑古民家
↑町会の地図
↑耳塚
↑小学校跡
↑解読不能の碑
↑同上(裏面)
↑小学校跡
耳塚の東方に豊臣秀吉を祀る豊国(とよくに)神社が鎮座する。そこに至る道が正面通。豊国神社に北には国家安康で有名な方広寺(大仏)がある。↑耳塚
↑玉垣に注目されたし
↑同上
↑同上
↑正面湯
↑同上
↑スクールゾーンがあるなら、シニアゾーンもありやな
↑正面橋
↑同上
↑同上(鴨川の下流を見る)
↑同上(上流を見る)
かつては京阪電車の線路が三条京阪まで地上を走っていた。桜が満開になると、京阪電車が走るたびに桜吹雪が起きて、えもいいようのない風景が現出した。今は地下化したので、風流な世界は現れない。川端通と正面通の交差点を渡り、鴨川を渡ると、五条楽園のネオンが煌めいていた。踏切があった場所が交差点になったのだ。