10月10日に思い立って、自宅を出る。解体工事のユンボの騒音で気が散るのを避けたいからだ。地下鉄千日前線に乗る。玉川駅の駅員さんに教えを乞うた。野田阪神駅の二番線にエレベーターが設置されるのは本当でっかと。予定やけどホンマや。駅名のヒゲ文字がどうなるかや朝夕に二番線に入る電車のダイヤがどうなるかまでは聞けず。
↑玉川駅周辺の地図
↑同上
↑同上
↑⑥番出口にはエスカレーターもエレベーターもトイレがない。駅員不在でインターホンしかない
↑中央卸売市場までの行き方
ご老人が、付近は大阪大空襲で焼けてないので、古い家が多いでと。土地の標高も低いようだ。玄関が高いのだ。南にむかって歩いていく。蔵もあるようだ。
↑野田三丁目
↑野田二丁目
↑玉川4丁目南の交差点
↑旧市電の通り
↑旧野田村堤ばし跡
↑同上
↑M家の蔵(旧家)
↑同上
↑野田三丁目5にある蔵
↑高低差のある玄関
↑マンションと民家(H氏宅)
↑美容室
↑実は銭湯
↑銭湯の玄関
↑野田三丁目の長屋街
↑同上
↑野田ニ丁目の蔵があるお宅
↑同上
↑その敷地にレトロビル
↑同上
↑デザインに注目
↑同上
↑同上(蔵の石垣が何段かな)
↑野田二丁目の民家
↑住居表示の新旧が同居している
↑福島野田郵便局前
↑中央卸売市場の北側で撮影
↑道路と駐車場に落差がある
↑なぜこんな落差があるの
↑電信柱に旧地名が
↑西野田公設市場跡がスーパーサンコーになっている
↑中央市場西口の交差点
↑駐車場から見た高低差
↑野田二丁目6から北を見る
↑かねてつ村上商店(あのかねてつ食品と無関係か)
↑同上
↑中央卸売市場西門
↑喫茶村上
↑村上ビル
長屋街の街並みを見た第一印象は、とても綺麗だったことだ。コミュニティとしてまとまっているのだろう。地域住民が昔から手を取りあって暮らしているのだろう。中央卸売市場が近いから、市場関係者が職住近接で住む人が多かっただろう。今はどうだろう。中央卸売市場も昔のような賑わいではない。空き家が多いと聞く。昔から住む人も多い。子孫はどうだろう。絆の強い長屋より、よその地域で住みたいと思うのもあろう。百年長屋より洋式のモダンな住宅に強く魅かれるのだろう。
西九条駅と野田駅の中間地点から中央卸売市場に向けて引き込み線が走っていた。大阪環状線から見た記憶がある。今は公園になって、「野田緑道」と言われている。そして、大阪歯科大学発祥地の碑が建っていると聞いて、両眼で確認しようとなった。タヌキがいると大阪民俗学研究会の会長と会友から情報をいただいた。
↑野田緑道
↑同上
↑「大阪歯科大学発祥の地」碑
↑同上
↑同上
↑法規を守らない方が多いのか
↑「大阪歯科大学発祥の地」碑
↑野田コミュニティセンターの沿革
↑中央卸売市場の航空写真(野田コミュニティセンター蔵)
↑同上。引き込み線の位置ががわかる
↑同上
↑中央卸売市場の全景
↑野田コミュニティセンターで三味線教室が開催されている。粋(すい)やね
↑出世地蔵尊
↑出世地蔵尊広報板
↑ななとこまいり
「ななとこまいり」ということばを聞くのはは初めてだ。説明されて理解できた。七カ所あるのか。お参りしたら、ご利益がさぞかしあるのだろう。
引き込み線を首藤病院まで歩くのが先決だ。
↑長屋
↑野田緑道
↑同上
↑同上
↑同上
↑地蔵堂
↑野田緑道
↑同上(野田五丁目)
↑同上
↑感謝の気持ちを伝え、ポイ捨てをやめさせる方法があるのを学ばねばあかんなあ
↑同上
↑野田緑道
↑公園愛護会の倉庫
↑源吉大明神(お狸さん)
↑同上(昔からここにあったのか)
↑秋の草花
↑野田五丁目
↑趣のある民家
↑野田緑道(踏切の跡か)
↑同上
↑同上
↑同上(環状線が見えてきた)
↑同上
↑環状線との分岐
↑首藤病院
芭蕉堂本社にお邪魔した。学社長から経営の厳しさを聞く。「芭蕉せんべい」の注文があれば、てんてこ舞いの忙しさ。せんべいの職人は学さんしかいないと。晴一郎さんと敬子さんと歓談する。本物の金鵄勲章が出てきたのにはびっくり。受賞者の記録が福島区役所にはなく、大阪府などに行って記録を手に入れたと言われた。
↑金鵄勲章の実物
↑故・東野正一(まさかず)
↑コミュニティサロンマップ
↑郵便局でいただいた地図
↑出世地蔵
↑出世地蔵尊の掲示板
↑野田コミュニティセンターの沿革
芭蕉堂にお邪魔したのは正一さんの法事の時だ。今から30年くらい前か。エレベーターで二階の座敷で親戚一同集まったのを思い出す。金鵄勲章を受賞されていたことは知ったのは初めてだった。「西野田の本家」と呼びならわしていた。いつもは国鉄(敢えて国鉄と呼ぶ)野田駅から「芭蕉堂」の看板を目指して歩いた。あるいは大阪市電島屋橋行きや春日出車庫行きに蒲生四丁目停留所から乗って行った。
いとこ会を毎年一回開いている。晴一郎さんは野田コミュニティセンターにカラオケで自慢ののどを聞かせている。学さんは芭蕉せんべいの注文があると、忙しくやいている。正彦さんにはお会いできなかった。歴史好きの正彦さんに地域の歴史を聞きたいものだ。
野田というと中央卸売市場が連想される。街の形成に大きく中央市場が関わっているだろう。中央卸売市場の賑わいがかつてに比べてなくなったと聞いて、長い時間が流れている。魚の卸をしていた父方の叔母夫婦も亡くなった。その住まいも空き家になり、売却された。叔母夫婦の娘も結婚して、北区の北浦江のマンションに住んでいる。中央卸売市場が作った街もこれからどう変化するだろう。