二か月ぶりに野暮用で加古川市に行ってきた。大阪駅までJR(旧日本国有鉄道)で行けば、時間短縮できるのに。地下鉄で大阪駅までのコースを選択した。30分もかかった。大阪駅の雑踏はいただけない。インバウンドの観光客がスーツケースをごろごろ引っ張る音が神経を苛立たせる。姫路行きの新快速を待つ。遅れている。山陽本線(通称は神戸線)では事故で遅れるのは当たり前。遅れてはいけない野暮用なので、加古川駅まで直行する。
↑大阪駅のエスカレーターの手すり
↑電光掲示板(マレーシア人の女性たちが1週間の観光で来日)
↑淀川
↑旧中津川跡に建つマンション
↑旧田辺製薬大阪工場跡
↑同上
↑同上
↑Aシート(有料車)
↑須磨駅
↑須磨浜
↑同上
↑須磨海釣り公園
↑同上(人影が見える)
↑淡路島
↑同上
↑明石海峡大橋
↑同上
加古川駅に新快速は順調に着いた。ニッケ・パークタウン内の市民情報センターに向かう。『加古川市総合防災マップ』をいただくためだ。えらい拾い物をした。蔵が視線に入った。
↑蔵
↑同上
↑同上
↑同上
↑三叉路に建つレトロ建築
ニッケの工場や社宅が加古川市内に今も残っている。ニッケ・パークタウンも加古川工場があった場所だ。
↑ニッケ・パークタウンと加古川市総合福祉会館の間の塀
↑川の上に跨って建つ飲食店
↑駅前のヤマトヤシキ(百貨店)が見えてきた
以前、ブログに掲載した日本毛織(ニッケ)印南工場の写真を再掲したい。
ニッケ(日本毛織株式会社)は1896(明治29)年に神戸で創業。日本最大の毛織物メーカー。赤レンガの加古川市にある印南工場(1919年竣工)では、いろいろな生地を今も製造している。
1898年に加古川工場(現パークタウン)が誕生した。ニッケ加古川社宅は、1899年に敷地中央の児童公園を中心にして、明治末期から昭和初期に建設された木造洋館、一戸建て・平屋・二階建ての長屋が並んでいる。『もっと知りたい!わが町加古川』(加古川観光協会刊、2024年)から引用した。
↑社宅
↑同上
↑同上
↑同上(長屋であった)
↑同上
↑社宅クラブ
↑同上
↑同上
↑同上
↑社宅
12時台は谷川駅行きの1本しかない。一両編成なので早めにホームに並ぶ。座るために列ができる。加古川線創業100周年を迎えた。阪神淡路大震災時の加古川線の活躍はなかった。赤字路線なので、廃線リストに挙げられている。
↑ヘッドマーク
↑同上
↑加古川線厄神駅の掲示
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
帰路はゆっくり旅にした。加古川駅から新快速で明石駅まで乗車、改札口を出てすぐに入場して次発の新快速を待つ。神戸駅で降車して、神戸ハーバーランドに向かう。フランネルシャツを購入する。これで今冬暖かく過ごせるぞ。
↑明石城
↑同上
明石で降車してすぐに乗車して、乗車賃を安くする方法だ。神戸駅でも同様の不審な行動を繰り返した。 神戸ハーバーランドでは若者たちが散策していた。買い物や映画など思い思いの娯楽を楽しんでいるのだろう。
↑神戸DUOのクリスマス飾り
↑ドキンちゃん
芭蕉の『奥の細道』ではないが、変化する世界の中で不変のものが残っている。不変のものを見て、私は感涙の涙を流さないが、胸の奥から温かいものが湧き上がってくるのを禁じることができなかった。