大阪日興ビル

「滅びの美学」という言葉がある。高度経済成長の昭和が完全に終わり、令和の時代に建物が引退しようとしている。一抹の寂しさが漂う。大阪駅前の御堂筋に面した「大阪日興ビル」のテナントが撤退している。解体工事が近づいているのだろう。隣にはかつての「梅田OSホテル」(閉店)が建っている。

f:id:higachanntan:20241005171513j:image↑ニューOS劇場の跡地にホテルができた
f:id:higachanntan:20241005171505j:image↑ホテル閉館のお知らせ
f:id:higachanntan:20241005171546j:imageサイゼリア梅田店の閉店のお知らせ
f:id:higachanntan:20241005171524j:image↑二階に続くエスカレーター(1階の奥にJTB東梅田支店があった)
f:id:higachanntan:20241005171532j:image↑1階のフロア(ホテルのフロントは二階)
f:id:higachanntan:20241005171509j:image↑天井の飾り
f:id:higachanntan:20241005171537j:image↑ホテルから御堂筋を見る
f:id:higachanntan:20241005171528j:image↑梅田OSホテル地下名店街
f:id:higachanntan:20241005171541j:image↑梅田OSホテルからお初天神商店街を見る

 ニューOS劇場で洋画を観た記憶があるが、何を観たのか覚えていない。

 

 日興ビルとあるから、一階には日興証券が入っていた。株価の電光掲示板があり、立ち止まってそれを見守る通行人がいたりした。その光景も今はない。その前には近鉄バスの停留所がある。そこから奈良や瓢箪山、寺川、稲田車庫行きのバスが発車していた。また、近鉄高速バスで飛騨高山行きのバスに乗ったことがある。

f:id:higachanntan:20241005165320j:image↑日興ビル名店街
f:id:higachanntan:20241005165328j:image↑今は一軒のみ入居
f:id:higachanntan:20241005165324j:image↑同上

f:id:higachanntan:20241005170236j:image↑同上

 残る店舗は喫茶店のみ。地下1階の喫茶店はヒガチャンも何度か珈琲を味わったことがある。今日も行列ができている。なぜか。ホットケーキが美味しいのでと並ぶ青年がいた。

f:id:higachanntan:20241005165218j:image↑行列ができる喫茶店

 喫茶店以外に入店したことがあるのは、玉の光梅田店、キリンケラーヤマト梅田店、北前居酒屋佐勘梅田店だ。特に玉の光の昼の定食は、玄米か白米かを選択できるし、値段も経済的な点が懐に優しいのだ。

f:id:higachanntan:20241005170025j:image↑玉の光
f:id:higachanntan:20241005170014j:image↑転居先のお知らせ
f:id:higachanntan:20241005170018j:image↑北前居酒屋佐勘のお知らせ
f:id:higachanntan:20241005170028j:image↑キリンケラーヤマトのお知らせ
f:id:higachanntan:20241005170022j:image↑キリンケラーヤマトの看板

 人の流れが途絶えようとしているビル(建造物)には、生き絶えようとする人の一瞬の高揚感がある。

f:id:higachanntan:20241005173525j:image↑whityうめだの吸気塔

 梅田周辺の再開発の中で、悠然と立つ梅田地下センター(ホワイティうめだ)の吸気塔を見ると「不易流行」という言葉が浮かんでくる。1963(昭和37)年に村野藤吾設計によってステンレス塔ができた。竣工から61年が経つ。