足代健二郎氏(郷土史家)から「アチャコの店」が高麗橋通にあると情報提供をいただいた。
天神橋から歩いて、旧三越百貨店大阪支店の辺りを歩いた。昭和40(1965)年3月の公立高入学試験の日に大阪に大雪が降った。午後から試験が変更になった。長靴に履き替えて、市電で高麗橋の三越百貨店で時間をつぶした。エスカレーターでとても空いている店内をウィンドウショッピングした。高級品が品ぞろえされていた。
高麗橋東詰に里程元標跡の碑がある。里程元標は、梅田新道交差点の西北隅に今は建っている。
「アチャコの店」は高麗橋通に三つある。営業時間でないのかシャッターが下りていた。派手なデザインの店構えである。吉本興業の花菱アチャコの名前は、現代人に知名度があろうか。相方の横山エンタツの知名度はいかがだろう。エンタツの息子の花紀京の名は知られていようか。
↑アチャコの店
↑同上
↑同上
↑同上
三井住友銀行大阪中央支店の外観はよく見るが、店内に入ったのは初めてだ。三井住友銀行本店もすごい(未見)らしいが、重厚な建築物の内部は必見の価値がある。この周辺にはレトロビルが固まって存在している。
三越百貨店は、阪神淡路大震災で被害を受けた。その後、撤去された。屋上には三越劇場があった。無料で映画会を上映していた。「泥の河」(小栗康平監督)を有料で観たのはここであった。↑三井住友銀行大阪中央支店。右の超高層マンションには旧三越百貨店大阪支店があった
↑三井住友銀行大阪中央支店にあった説明書
三井住友銀行大阪中央支店から堺筋を渡ると、高麗橋野村ビルディングがある。内部には入れない。また撮影もできなかった。高校時代、市電堺筋線の車内からレトロビルが見えていた。小川月舟写真場の看板も印象に残っている。設計は安井武雄建築事務所、昭和二(1927)年に竣工。鉄骨・鉄筋コンクリート造。↑小川月舟写真場(高麗橋野村ビルディング内)
↑高麗橋野村ビルディング
↑同上
↑同上
和菓子の菊屋が、旧三越百貨店の西向かいにあった。木製の看板は消えたが、菊屋のマークが建物に残っている。↑旧大阪高麗橋菊屋。戦後に本家から暖簾分けし、2022年閉店。本家菊屋とは資本系列はない
旧三越百貨店大阪支店の南側に「ボンド」で有名な小西儀助商店の木造建築(旧小西家住宅)が現存するが、見学は後日にする。明治三十三(1900)年着工、明治三十六(1903)年に完成。国の重要文化財に指定されている。↑小西儀助商店の蔵
アチャコの店が三つもあるとは‥。「お父さんはお人好し」などアチャコはラジオや映画ですごい人気があった。阿倍野区に自宅があったりした。吉本興業に貢献したコメディアンだ。年収があったのだろう。家族に店を持たせたようだ。人気商売はどん底になれば地獄を見ることになる。それに備えた事業なのだろう。
↑アチャコの店
↑同上
↑同上
三休橋筋までくると、日本基督教団浪花教会が見えてくる。施錠されていて、内部に入れなかった。昭和五(1930)年に完成。設計・施行は竹中工務店。設計指導はウイリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留)である。
↑オペラ・ドメーヌ高麗橋。辰野金吾・片岡安の設計で明治四十五(1912)年完成。旧大阪教育生命保険ビル。辰野・片岡の代表作は、日本銀行本店、日本銀行大阪支店、東京駅、大阪市中央公会堂、浜寺公園駅舎など。
↑日本基督教団浪花教会
↑同上
↑同上
↑大阪商法会議所跡
最後に、芝川ビルを見学した。内部の撮影は遠慮した。『芝川ビル since1927』というパンフレットを購入した。売価は1000円であった。不動産業を営む芝川又四郎が建設した。鉄筋コンクリート造、地上4階、地下1階で、昭和二(1927)年に竣工。↑芝川ビル
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
【参考文献】