空堀商店街を谷町筋から松屋町筋まで歩いた。上町台地を西に向けて歩く。街並みにゆとりを感じる。
ロシア語講座で週に一度ここ(谷町六丁目駅)まで通っていたのを思い出した。阪急京都線上新庄駅から地下鉄谷町六丁目駅まで通った。ソ連崩壊前だったので、「日ソ協会」と言っていた。
↑日本ユーラシア協会のバザール
空堀商店街のアーケードに入る。土居の昆布屋、岡田の鰹節店、豆腐屋、賑町公設市場(現サンコー)などが見えてくる。
↑空堀今昔地図
↑ステンドグラスが美しい喫茶店
↑善安筋
↑商店街がゲンキだ
↑空堀商店街の西端
↑松屋町筋に出てしまった
↑もと賑町公設市場
↑東に登っている
↑路地(ろうじ)
↑鰹節店(ご主人は90歳代)
↑御祓筋
↑路地
↑道標
↑同上
↑住居表示
↑長屋
↑空堀まちなみ井戸端新聞
↑桃園(とうえん)地域活動協議会のポスター
↑田島北ふれあい広場
↑同上
↑土居昆布店
↑空堀
↑お地蔵さん
↑沈む太陽
空堀商店街の近くに大阪市立南高等学校があった。今は統廃合されて、校舎が残るのみである。今後、敷地がどうなるのかは不明である。高津原橋が長堀通に架かっている。この橋を渡って、文化祭などの行事に参加したことがある。南高等学校も敷地が狭かった。高等女学校が前身だ。
橋を渡ると、異次元の世界が開かれるように思っていた。高原会所があったからか。その跡は公有地となり、大阪市の所有地になった。高原会所とは「大坂三郷内で行き倒れた人を収容し、粥・薬などを与えて回復させる施設」だった。刑務所や拘置所の沿革につながる施設といえようか。
【参考文献】
「空堀まちなみ井戸端会 かわら版」(2024年3月28日発行)
「竹内志朗さんのオフィシャルサイト」(90歳の現役舞台装置家)https://www.shiro-takeuchi.com/
「からほり新聞」(第51号、2021年10月16日発行)