鶴身印刷所の鶴身さんに旧土地台帳と和紙公図を手渡しに行った。「生きた建築ミュージアム」に鶴身印刷所も参加している。
↑桜小橋の交差点(城東区で交通事故の多い交差点の一つ)
↑桜小橋から南に歩く
↑京阪電車の高架横
↑京阪電車の高架下
↑大阪市建設局東野田抽水所
↑旧榎並川(疎開道路)
↑旧秋岡義一邸(川端康成の伯父)跡
↑JR京橋駅北口に通じている
↑同上 (奥に京阪電車が見える)
↑クリーニング店
↑蒲生墓地(大坂七墓の一つ)
↑蒲生橋の橋標
↑蒲生橋が南北に架かっていた
↑鯰江川が東西に流れていた
↑川を渡ると、片町線が走る
↑片町線の新喜多踏切
↑新喜多踏切(奥が片町線京橋駅)
↑疎開道路予定地
↑元貞徳舎本社工場跡
↑元貞徳舎本社工場跡の周辺
↑JR片町線の北側を見る
↑片町線に沿って東に歩く
↑鶴身印刷所が見えてきた
↑鶴身印刷所
玄関を入ると、いろいろな実習体験をみなさんがされていた。鶴身さんは忙しそうに働いていた。用事を済ませて、お邪魔した。
新喜多2丁目にお住まいの照屋さん(91歳)に「スカウト製菓」についてお聞きした。鶴身印刷所のある場所は、鋳物工場があったと言われた。初耳である。しかし、私の記憶の「スカウト製菓」は、鯰江川に沿ってあったと覚えている。JR片町線の馬の口踏切から蒲生橋までの範囲にあったと。照屋さんも鯰江川沿いにあったと言われた。二人の記憶が一致している。
10月31日に城東図書館に行って確認した。吉田地図(城東区北部、1960年)を見れば、スカウト製菓株式会社は鯰江川に沿っていた。片町線の北側になる。そして、鶴身印刷所は、片町線を挟んで南東の現在の場所に位置していた。
大阪私学会館に向かって、京橋駅で空腹を満たそうとするか。
JR片町線新喜多踏切
↑旧鯰江川から見ると、民家が三階建てに見える
↑城東区の地図
↑田村硝子の跡地。京橋大空襲で炎上
↑レンガ
↑左側がJR環状線の擁壁(外回りホーム)
↑同上(右側が外回りホーム)
↑レンガ
↑手前が旧鯰江川、奥に古堤街道(野崎街道)が走っている
↑リバーカントリーガーデン京橋(馬券売り場になるのを反対運動が阻止した)
↑旧鯰江川に架かる橋脚
↑同上
↑同上
↑同上
↑同上
↑旧ダイエー京橋店と京橋駅を結んでいた歩道橋
↑旧ダイエー京橋店跡はイベントスペースになっていた
↑同上
↑同上
↑片町東歩道橋
↑旧ダイエー京橋店跡
↑同上
↑同上
「↑旧砲兵工廠(現:ツインタワー方向を見る)
↑大阪城方向を見る
↑喫茶店の開業は1970年の大阪万博の時。建物が老朽化して、二日間休業して工事をしていた
歩道橋を渡って、享楽の巷、京橋で昼食を取ろうとするか。焼肉かカレーライスか、餃子か、和風でいくか。シャトー会館の看板を見て、『グラン・シャトー』の文字が浮かび上がった。高度経済成長時代の目くるめく世界が現れたのだ。
大阪市立城東図書館「まちのひと文庫」推薦文に、猪田みゆきさんが『グランシャトー』(高殿円/著、文藝春秋)を紹介されている。それを転載する。
「2023年第11回大阪ほんま本対象を受賞した作品です。私がオススメしたいのは、賞を受賞したからだけではなく、この作品の舞台が京橋のグランシャトーをモデルに戦後の高度成長期からバブル崩壊後の様子が描かれています。
主人公ルーは、訳があって故郷を離れなくてはならず仕事を探します。紆余曲折を経てグランシャトーで働くのですが、そこのNo.1である真珠ねえさんを慕い、二人はともに中崎町の寮で二人暮らしをします。
あらすじからずっと京橋の辺りばかり描写されるのかと思っていたら、ルーは色々な場所へ行き、最後は大好きなねえさんのためにある決断をする。その家族でもなく、友人でもなく、といった不思議な絆で結ばれた二人と二人が見つめてきた京橋の景色を懐かしい、と思う方もきっといると思っています。グランシャトーのCMを覚えている方はぜひ一度読んでみてください。」
↑右側は京阪電車の高架街
↑ここがグランシャトー(シャトー会館)
↑同上
↑同上
↑キャバレー「香蘭」があった
↑同上
↑同上
↑同上
↑元京阪電車の線路敷
↑京橋(都島区)の地図
↑同上
↑シャトー会館の階段
カレーライスに決〜めた。カレーレストラン「P &G」のカウンターに座る。ミックスカレー(税込750円)にした。
この料理が来るまでの時間に耐える苦しさと期待感の入り混じった心理をわかっていただけようか。「らっきょうか福神漬、どうする」と店員に聞かれた。テーブルに、そうだ、らっきょも福神漬もない。「サービス?」と訊いた。うんと縦に首を振ったので「付けて」と答える。後から入店した客が福神漬もらっきょが要らないと応答する。心中、不安になってくる。コロナ禍以降、利潤を稼ぐために値上げや合理化が進んでいる。ムダをなくす風潮がある。精算をするときに「はい、合計800円」と言われるのでないかと咀嚼運動をしている時も不安と不信が募ってくる。
↑カレーレストラン
そんな心配は木っ端微塵に砕かれた。「750円です。おおきに」満足感が滲み出てきて、満腹感が体内に満ちてきた。足取り軽く商店街を歩き出す。
↑シャトー会館
↑同上
↑同上
↑旧京阪電車の線路敷、上はJR環状線の線路
↑同上
↑同上
↑同上
京阪電車の元線路敷(道路)を歩いて、旧京阪電車片町駅を過ぎる。かつて京阪電車と大阪市電が平面交差をしていたその音を追想する。大阪私学会館に着く。ここも懐かしい場所だ。
↑大阪私学会館
帰り道は京街道でと決めた。野田橋址の碑から東に向いて歩く。
↑京街道
↑同上(家並が消えて、旧鯰江川、旧砲兵工廠が見える)
↑片町福祉会館
↑京街道
↑京街道から北を見る
↑東洋学園オービック情報専門学校
↑京街道
↑二人地蔵尊
↑二人地蔵尊命名の由来
↑右は鯰江川に行く。左は京街道
↑サンドイッチマンの再来か
歓楽街の京橋。人が集まってくる。何を求めて、来るのか。人が住んでこその街である。住民の生活を無視した、イベントによる人集めには与したくない。また、住民の暮らしや静穏を壊すような経済第一主義的な行いにも賛意を表さない。
【参考文献】
「生きた建築ミュージアム」のHP