消えた喜劇人

 白羽大介というコメディアンを覚えていますか。吉本新喜劇の立ち上げ時に活躍した。うめだ花月毎日放送がテレビ中継をしていた頃だ。細身にメガネをかけた俳優の姿が浮かぶ。ルーキー新一と恐喝容疑で逮捕され、芸能界から消えた。『吉本興業百五年史』『上方演芸大全』『松竹百二十年史』に白羽大介の名はない。

f:id:higachanntan:20230528172540j:image↑なんば花月劇場のポスター(1963年開業)

 

 Wikipediaによると、白羽大介の本名は勝俣定彦という。1923(大正12)年1月23日生。2005(平成17)年12月26日没。

 明治大学卒業後、上宮高校(大阪市天王寺区)教諭の傍ら、アルバイトで歌謡ショウの司会などをしていた(教諭だったかどうかは確認できず)。うめだ花月が開場した1959(昭和34)年、吉本興業に入社し吉本新喜劇の旗揚げに参加、一時は座長も務めた。

 1965(昭和40)年、吉本首脳陣との対立から千土地興業に集団移籍。ルーキー新一、森信とのトリオを中心にルーキー爆笑劇団を結成しルーキーと漫才を組んだこともある。その後、マスコミを賑わせるような事件を起こし、人気低迷。千日劇場閉鎖なども重なり、劇団活動は頓挫、解散。

 映画の端役、脇役を経て、1974(昭和49)年以降は松竹新喜劇に移り、主に脇役として活躍。一時松竹喜楽座に移って、二代目博多淡海のパートナーとして活躍、1980(昭和55)年に松竹新喜劇に復帰。2003(平成)年まで舞台で活躍していた。2005(平成)年12月26日、肺炎のため大阪府守口市の病院で死去。82歳。

 

 四国新聞(2005年12月26日)に、「白羽大介氏死去」の記事が載っている。「26日午前6時55分、肺炎のため大阪府守口市の病院で死去、82歳。大分県出身。自宅は守口市西郷通2丁目(以下は省略)。葬儀・告別式は27日午前10時から守口市大日町3丁目、公益社会館守口で。

 

 ワッハ上方(大阪府立上方演芸資料館)は、白羽大介に関する収蔵資料を6点収蔵している。
・サイン色紙(ルーキー新一との連名) …1点
・なんば花月劇場のプログラム    …1点
京都花月劇場のプログラム     …1点
・角座のプログラム         …3点

 

 ゼンリン住宅地図(2022年)を見ると、守口市西郷通2丁目に勝俣さんという家がある。子孫の方だろうか。コロナ後遺症で脚が痛いので、しばらくは現地調査ができないのが残念だ。

 

【参考文献】

『松竹百二十年史』(松竹編)

吉本興業百五年史』(吉本興業)

『上宮学園九十年の歩み』(上宮学園校史編纂委員会編)

『上方演芸大全』(大阪府立上方演芸資料館編)